童謡といえば、幼い頃に親が教えてくれたり、学校の授業で扱ったりと、とても身近な存在。それらのなかには、作者の想いが込められた作品も多く存在する。人気シリーズ『童謡の謎』の著者が、童謡「しゃぼん玉」に込められた“想い”や“意味”を解説する。※本稿は合田道人『歳時記を唄った童謡の謎』(笠間書院)を一部抜粋・編集したものです。
「こわれて消えた」
子どもの命
「しゃぼん玉飛んだ。屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、こわれて消えた」。
「風、風、吹くな。しゃぼん玉飛ばそ」。
「しゃぼん玉消えた。飛ばずに消えた。生まれてすぐに、こわれて消えた」。
「風、風、吹くな。しゃぼん玉飛ばそ」。
「屋根まで飛んで、こわれて消えた」のは、子どもの命だった。私が最初に書いた『童謡の謎』(2002年刊)にそのことを載せた時分は、それこそ「へ~~~」と言いながらボタンをたたく雑学テレビ番組の『トリビアの泉』(フジテレビ系)に取り上げられ説明したり、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に初登場したときも黒柳徹子さんに驚かれたりしたものだった。
それらのテレビのおかげもあって、この「こわれて消えた子どもの命」は案外、知れ渡ることになった。今でも必ず私はこの本当の意味を朗読してから歌っている。
ポルトガル語で石鹸を意味する「シャボン」が、日本へ伝わったのは16世紀の末。安土桃山時代のことである。17世紀には「サボン玉売り」「玉売り」と呼ばれる行商人が、しゃぼん玉を吹き吹き「玉や、玉や」と言いながら街辻を売り歩いた。
そこに群がる子どもたちの絵も残されている。しゃぼん玉には夢と希望があふれているのだ。
明治から大正期になると石鹸の国内生産によって、ますますしゃぼん玉遊びは各地に広がった。石鹸水をストローなどの管の先につけ、もう一方の端から軽く吹くとできる気泡。日の光に照らされ、美しい色彩を見せながら空中をただよう。
現れてはすぐ消える、そんなところから、はかないもののたとえにも用いられるようになってゆく。まさしく童謡「しゃぼん玉」の世界が、そこにある。