ロフトはコミュニケーションを
育む場所を常に提供してきた

牧村 いろいろと話してきましたけど、昔はこうだった、昔は良かったなんて話をしたいわけじゃないんです。今でこそ一定の評価を得ているミュージシャンやジャンルでも、最初から成功したわけじゃなく七転八倒の連続だったということを若い世代に向けて記録として残しておきたいんですよ。

 コロナ禍もあって、これから音楽の世界で生きようとする伸び盛りの子たちを失望させるようなことが昨今多いじゃないですか。音楽をただの金儲けの手段にしか思わない小狡い人たちが山ほど出てきちゃったし、それを正すためにも過去の歴史を検証することに大きな意味があると思うんです。だとすれば、日本におけるポピュラー・ミュージックの成り立ち、その過程で決して欠かすことのできないライブハウスの黎明期をこうして話しておきたい。今の音楽業界が失ってしまった大切なものとは何だったのかを次世代に語り継いでおきたいんです。

書影『1976年の新宿ロフト』『1976年の新宿ロフト』(星海社)
平野悠 著

平野 結局ね、ロフトのやってきた最たるものはコミュニケーションを育む場所を提供したことだと思う。ライブが終わっても、ミュージシャンや客が始発の時間までだらだら飲んで、そこに人が集まってくる。うちはウイスキーのボトルをボーンと置いて、タダで飲んでけ!って言うわけ。そこからコミュニケーションが生まれて、次の企画や新たなバンドの構想に繋がることも多かった。

 つまりライブが終わってハイさよならじゃなくて、その後の飲みながら語り合うことで生まれるコミュニケーションにこそライブハウスの価値があると僕は思ってる。ロフトはね、ARBの石橋凌が夜中に突然現れて、「今からセッションやるから!」と無理やり店を開けさせるような所だった。そういうのが平気で起こる時代だったし、今はロフトみたいな店は他にないでしょ?

牧村 どれだけネットが発達しても、人と人のコミュニケーションは密に集まって過ごせる空間がないとダメなんです。新しい表現を生み出すためには、人と人が出会うための場所が必要なんですね。ロフトは50年以上にわたってそうした場を提供し続けて、今の音楽業界が失ってしまったもの、密集、密接、密閉という三密が忌避されるこんな時代だからこそもう一度復活させなくちゃいけない大切なものが、ロフトのこれまでの歩みの中にたくさんあるはずです。その意味でもこの本が教えてくれることは数多くあると僕は思いますよ。