二代目社長の末娘が継いで、斬新なアイデアで「突っ張り棒」をアップデートした平安伸銅工業。兄弟で倒産寸前の町工場の経営を引き継いで「バーミキュラ」で起死回生した愛知ドビー。連載『「事業承継」イノベーションが企業を救う』第2回は、2つの事業承継の事例から、後継者の多様性について考える。(取材・文/フリーライター 東野りか、ダイヤモンド・ライフ編集部)
求められている場所で花を咲かせよう
末娘は新聞社を辞めて家業に入る
親族承継では、今でも長男が一人で会社を継ぐケースが圧倒的に多い。しかし、そんな考えは今や時代遅れだろう。過去の“常識”にとらわれず、自社に必要な事業承継を行った企業のケースを紹介しよう。
一つ目は“性別の多様性”によって事業承継に成功したケースだ。「うちは子どもが女性ばかりで、後継者がいない」などと嘆く経営者が少なからず存在する。世の中でダイバーシティが叫ばれて久しいにもかかわらず、固定観念にとらわれていては、事業承継によって会社を飛躍させるチャンスを逸してしまいかねない。
クローゼットやキッチン、浴室……今や家庭になくてはならない日用品となった「突っ張り棒」。その名の通り、壁や天井に突っ張ればたちまち収納の幅が広がる優れものだ。
突っ張り棒の生みの親である平安伸銅工業は、主に銅を加工する会社として1952年に大阪で創業。1975年、初代社長の笹井達二が初めて突っ張り棒を商品化すると瞬く間に大ヒットし、売り上げを伸ばす。しかしその後、競合他社が増え、価格競争が激化。ピーク時の95年は48億円だった売り上げが、右肩下がりを続け、2009年には14億円にまで落ち込んだ。
そんな中、二代目社長康雄の末娘である竹内香予子が家業に入り、2015年に事業を承継。社長に就任以来、斬新なアイデアで複数の新ブランドを立ち上げ、新たな顧客を獲得しながら売り上げを回復している。
香予子は同志社大学を卒業後、産経新聞社に記者職で入社。しかし2年ほどたった頃から、記者としての仕事に行き詰まりを感じ、転職を考えていた。そんな時に母親から父親の入院を知らされる。同時に「もし会社を辞めるなら、会社を手伝ってほしい」と言われたことをきっかけに、家業に入ることを考え始めた。
「小さい頃から父や創業者の祖父が、仕事やお金のことで衝突している姿を見ていたので、家業とは距離を置いていました。親の会社を継ごうとは、全く考えていなかった。父親も継いでほしいと言ったことは一度もありません」
当時付き合っていた一紘(現夫)との結婚話も出ていた。転勤がある新聞社では、結婚して出産した後に家族と一緒に過ごす時間が取れなくなる可能性もある。キャリアとプライベートの両立を模索していた中、家業に入るのも選択肢の一つだと考え始める。
姉2人は専門職に就いていて、継ぐことは考えていなかった。「もし自分が後継者にならなければ、父は会社を清算、または売却するつもりだったのだろう」と推測する。3カ月ほど悩んだ末に、「求められている場所で役割を全うしよう。自分なりの発展形をつくっていこう」と決心した。