職人たちの誇らしげな様子は鮮明に
しかし兄弟は、経営悪化で継ぐのを断念

 二つ目は、“経営スタイルの多様性”によって事業承継に成功したケース。長男一人が会社を率いるのではなく、兄弟で事業承継する「兄弟承継」は昔から存在するが、兄弟の不仲から会社の分裂が起こり“お家騒動”が勃発することも少なくない。

 鋳物ホーロー鍋「バーミキュラ」の大ヒットで一躍有名になった愛知ドビー。兄が社長、弟が副社長という立場だが、経営に関しての立場は全くの平等。うまく機能している秘密を探った。

 愛知ドビーは前身の土方鋳造所が1936年に創業。その後ドビー機(生地を織る際に縦糸を上下に開口させる装置)と呼ばれる繊維機械や船、クレーンの部品を生産する、典型的な町工場だった。産業構造の転換に伴いドビー機の生産は減少し、1990年頃からは産業機械製品の下請け工場に転換した。しかしその後、海外の下請け工場に仕事を奪われ、頼みの綱の下請けすらも受注が減っていく。 

「跡取りは長男」は昔話か、多様化する事業承継で息子・娘が起こした経営革命土方邦裕社長。大学卒業後、豊田通商を経て、2001年に家業の愛知ドビーに入社。鋳造技術の資格を持つ技術者でもある  写真提供:愛知ドビー

 兄の土方邦裕が愛知ドビーに入社した2001年には、経営はかなり悪化していた。

「工場の敷地内に家があったので、小さい時は職人たちに遊んでもらって、いつか自分が工場を継ぐのだと思っていました。でも大学を出る頃には『うちは将来も危ないから、よそで働いた方がいい』と両親に言われたのです」

 両親の言葉もあり、邦裕は大学卒業後家業には入らず、総合商社の豊田通商に入社。数年働いて仕事にも慣れてきた頃、為替ディーラーとして外資系銀行に転職のチャンスが訪れる。父にその話をすると「銀行に転職するのもリスクがある。どうせリスクを背負うのならうちの会社に入らないか」と、予測していなかったことを言われ、すぐに入社を決意する。

 弟の智晴も、兄と同様に職人たちに遊んでもらった原体験がある。「うちのドビー機は世界一だよね?」と聞いたら、職人たちが「そうだよ!」と自慢げに答えていたのを鮮明に覚えている。その姿が格好良く見えて、彼らと同じ職人になりたかったが、経営悪化でそれどころではなくなったのだ。

「外から家業をバックアップできないかと思い、公認会計士や経営コンサルタントを目指しましたが、結局トヨタ自動車で原価企画に携わりました。でも、ずっと家業のことが頭にありました」