「会社を背負うなら、弱音を吐くな」
寡黙な父からのエールを胸に
香予子の“フォロワー”が増えると、他の社員も「そんなやり方があるんだ」と理解してくれるようになった。以来、少しずつ改革が進んでいく。
いよいよ社長に就任するという時、父親から言われた言葉がある。「これから会社を背負っていくなら、弱音を吐くな。たとえ親にでも、自分の弱いところを見せたり、愚痴を言ったりしてはいけない」。いつになく厳しく、突き放すような言い方だった。
入社以来、気を張ってさまざまな仕事に取り組んできた香予子だが、「本当にどうしていいか分からない」時、母親に弱音を吐いたり、会社の愚痴をこぼしたりしたことがあった。それは父親の耳にも入っていたのだ。
そんな父の言葉を胸に、2015年、香予子は社長に就任。社の未来を見据えた新規事業に乗り出す。突っ張り棒などの既存品は、将来的に競合他社との価格競争でもっと売り上げが縮小していくだろう。「平安伸銅工業のものでなくてもいい。できれば安いものがいい」とユーザーは判断するからだ。
そうだとしたら、既存品が売れているうちに新しい価値創造を展開していくべきだと英断する。失敗すれば相当のリスクも背負うので、かなり勇気がいったはずだ。人間は物事がうまくいっている間は総じて現状維持に走りがち。だからこそ、次のフェーズに移行して会社を大きくするべき、悪くなってからでは拡大はおろか回復も難しくなるという視点は、香予子の慧眼といってもいい。
「改革は一人ではやれない」と思った香予子は、当時公務員だった夫の一紘に入社を迫る。最初は「夫婦で違う仕事をして、リスク分散したほうがいい」という考えだった一紘だが、香予子の気迫に押されて入社。その後、社外デザイナーとのコラボ「ドローアライン」、社内デザイナーによる「ラブリコ」の2つのインテリアブランドを立ち上げる。
「夫は前々職でアトリエ系の建築事務所に勤めていて、プロダクトデザインの重要性を理解していました。お互いの能力を補完しながら経営を進めたのが良かったと思います」
モノづくりは元々同社の強みであり、そこにデザインという新機軸を追加し、競合他社との差別化を図った。さらに香予子は自ら「つっぱり棒博士」と名乗り、広告塔になる。自宅のあらゆる場所で100本ほどの突っ張り棒を使い、自社製品のショールームのようにして、その様子をSNSに発信する。
2022年度の売り上げは33億円と、入社した年に比べると2倍にまで伸びた。「平安伸銅の商品だから買いたい」というユーザーの動機付けが生まれたのも追い風の要因になった。
最近、香予子は人づてに、「娘が継いでくれてうれしい」と父親が言っているのを聞いた。以前からずっと「ファミリービジネスというものに対して、娘たちにポジティブな印象を与えられなかった」と残念がっていた父親は、香予子の活躍を見て、心からそう思えるようになったのだろう。
「料理家の平野レミさんや、ドリカムの吉田美和さんが好きなんです。唯一無二の存在という感じがいい。私も既存の経営者とは違うユニークな社長になりたい」と、朗らかに笑う香予子には、「社長はこうあるべき」という縛りはない。幼少期から後継ぎだと言われて帝王学を学んできたような、いわゆる「跡取り息子」とは違う自由さを感じさせる。現状に満足せず次々と新しいことを生み出していく女性社長の今後から、目が離せない。