先代社長の反省点を糧に、自ら現場で技術を習得
経営の立て直しを任された邦裕は、入社が決まるとすぐに、会計に詳しい智晴を呼んで、一緒に家業の財務状況を確認する。ふたを開けると、なんと債務超過が2億円もあった。そんな火の車の会社に銀行はもはや1円も貸してくれない。どうしたらいいのかと兄弟は話し合い、月に2000万円の売り上げを立てて借り入れ金を返していけばなんとかなると計算した。
愛知ドビーは、鉄を溶かして形を造る「鋳造」と、完成した鉄の鋳物を精密に削る「精密加工」の2部門がある。当時両方できる町工場は少なく、これは同社の最大の強みでもある。邦裕はまず「鋳造」の現場に自ら入り、職人に習いながら技術を習得することから始めた。
同時に、必死に営業をして下請けの仕事を増やしたところ、徐々に売り上げは上昇。5年後に「精密加工部門を立て直してほしい」という兄の要請を受けて智晴が入社した時は、売り上げが3億5000万円まで持ち直していた。
「以前為替ディーラーとしてシュッとして仕事をしていた兄が、真っ黒になって鋳造の現場で働いていたのを見て驚きました。私も負けていられないと、精密機械加工をゼロベースから学ぶことに。元々手先が不器用なので、ものすごく苦労したんですが(笑)」
兄弟が現場の技術習得にこだわったのには理由がある。先代社長の父は繊維機械の設計はできたが、鋳造や精密機械加工の技術がなかったので、職人たちに製造の指示を正確に伝えられなかったという反省点がある。
「大企業は無理かもしれないが、うちぐらいの中小のメーカーであれば、経営陣も製造技術の習得は必須」と邦裕は断言する。
倒産の危機を免れ、職人たちの給料もアップするが、皆の表情はさえない。やる気もいまひとつ感じられなかった。それは、下請けに甘んじているということに加えて、かつてのドビー機のような自分たちが“誇れる”製品がなかったからだ。
職人たちが「世界一だ」と誇りを持てる自前の製品を作らなければ、会社の成長はない。そう考えた兄弟は、自分たちの技術を生かした製品開発に着手する。失敗を繰り返しながらも、2010年に鋳物ホーロー鍋「バーミキュラ」が完成。一時期入荷が15カ月待ちになるほどの大人気商品となり、売り上げは2017年11月には44億円を突破。
二人がそれぞれ、鋳物と精密加工の技術を習得していたことは、製造開発に大いに役立った。