「濡れ落ち葉」「旦那はATM」配偶者への愛情がなくても離婚しない日本独特の夫婦観写真はイメージです Photo:PIXTA

「夫婦の3組に1組が離婚する日本で「内実離婚夫婦」は実はもっと多い」と、社会学者で「婚活」という言葉の生みの親である中央大学文学部教授・山田昌弘氏は分析する。性別役割分業型(“夫は働き、妻は家事”)より夫婦それぞれの時間や愛情が分散し、日本特有の“愛情観”が形成されていった。同氏の新著『パラサイト難婚社会』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、紹介する。

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 現代日本では、既婚カップルは二極化しています。夫婦仲が良く一緒に食事や旅行、映画鑑賞を楽しみ、老後も心穏やかに過ごす「名実共に結婚状態にある夫婦」と、同じ家庭で暮らしていてもほとんど口をきかない「内実はほとんど破綻している夫婦(内実離婚夫婦)」です。夫婦の「3組に1組は離婚する」日本ですが、実際は「家庭内離婚」、すなわち「内実離婚夫婦」はもっと多いと私は睨んでいます。

「濡れ落ち葉」「旦那はATM」「亭主在宅シンドローム」など、既婚状態の不満(主に妻から夫に向けて)にまつわる特殊用語に日本は事欠きません。

 80年代までは「亭主元気で留守がいい」程度の表現で夫の健康と不在を望んでいた妻たちも、90年代そして2000年代になるにつれ、言葉の選択を過激化させていきました。中でも前述の「濡れ落ち葉」「亭主在宅シンドローム」は、表現の苛烈さにおいて多くの男性たちの心を凍りつかせました。

 それまで仕事三昧で会社に滅私奉公してきた夫たちが、いざ定年退職になり、これからは心穏やかに家で過ごせるようになったと一安心した矢先に、それまでひとりの時間を家で謳歌してきた妻たちが悲鳴を上げるようになったのです。妻の側も、ようやく手のかかる子どもたちが巣立ち、自宅で自由時間を持てるようになったと思ったら、今度は初老の夫がデンと構えるようになったのです。しかも四六時中家にいて、一日三度の食事を当然のように求めてくる。妻の奉仕を当たり前のものとしてテレビの前に陣取り、「コーヒー」などと注文する夫に対してイライラが募り、しまいには動悸息切れがしてくる……。そんな状態を「亭主在宅シンドローム」と呼ぶそうですが、逆に妻が外出や旅行をする際に、今度はどこにでもついてこようとする夫に対しては、評論家の樋口恵子さんによって「濡れ落ち葉」という名前が付けられました。これらは典型的な日本の「性別役割分業型家族の愛情観」の弊害かもしれません。

 それまで「外で家族のために働きお金を稼ぐこと」が夫からの愛情の証だったのに、「外で稼がなくなった夫」は、何によって妻の私に「愛情」をくれるのか。定年退職という区切りで、「家庭内における男女分業」システムが解消したのなら、私も家事から解放されるべきではないか。それにもかかわらず、妻としての愛情の証である家事は死ぬまでしなくてはならないこの理不尽さをどうしてくれようか……。代弁すれば、このようなところでしょうか。