同時に、団塊の世代には「世間体」もあります。我慢が美徳として認識される最後の世代かもしれません。「こんなことが理由で離婚などすべきではない」という自制心から、実際の「離婚」件数は、「熟年離婚」が話題になるほどには多くはありませんが、そこで溜まる忸怩たる思いが、「亭主在宅シンドローム」や「濡れ落ち葉」という表現に凝縮されているのかもしれません。

日本型「愛情の分散投資」とは

 こうした日本独特の「夫婦観」について、欧米の人々は驚きます。彼らは一様に言います。

「愛がなくなったのに、なぜ離婚をしないのか」と。

 たしかに人生の伴走者たる配偶者のことを、金の出る機械「ATM」呼ばわりしたり、ほうきにまとわりつく「濡れ落ち葉」に喩えるのは、彼らには到底理解の及ばぬ世界でしょう。

 ただこれも「性別役割分業型家族の愛情観」に絡む話になってきますが、日本人はもともと「分散」「分業」の意識が強い、あるいは得意なのかもしれません。

 西欧文化では、「夫婦」は人生を丸ごと共有しようとします。子育ても家事も仕事の配分も、レジャーもコミュニティも、「夫婦」は一体となってあらゆる価値と時間を共有していくのです。もちろんこれは理想であって、現実に完全に共有しているわけではありませんが、少なくとも共有しようと努力します。夫婦で観劇し、パーティに赴き、ハイキングに行き、夫婦で子どものイベントに出席し、夫婦単位で友人家族と付き合い、夫婦で余暇に語り合う。もちろんそれぞれの夫婦により差はありますが、日本とは根本的に異なる「夫婦観」「愛情観」「家族観」を彼らは持っています。