最後の「誰かに愚痴を言う」は、人の力を借りて元気になる方法です。悶々としている思いを表に出すことで楽になるのです。愚痴を言う相手は、特別な興味を示さないものの、かといって恩着せがましく聞いているような態度を一切見せず、こちらの話を否定することなくただ淡々と聞いてくれるような人が理想です。失敗の話を聞くときの私の態度がまさにそうです。一切反論をしない、話に矛盾があってもそれを突くこともしない、言っていることの善悪を指摘することもしないというのを心がけています。
ストレスの発散は
老害行動を防ぐ
これら大きな失敗をした後の処し方は、老いの問題と向き合うときにもそのまま使えそうです。一番の敵であるストレスへの対策として上手に使うのがお勧めです。ストレスをため込んでしまうと、はけ口を求めてまわりに嫌われたり迷惑が及ぶ、老害といわれる行動が出やすくなります。そういうものを完全になくすことを目指す必要はありませんが、心が健康でいられるようにストレスと上手に付き合うための術を持つことは大事です。
もちろん、これ以外にもストレスと上手に付き合う方法はたくさんあります。趣味など好きなことに没頭するのもいいでしょう。私の場合は、昔からどんなに仕事が忙しくても、趣味でやっている週一回の合唱にほぼ欠かさず参加していました。この合唱はすっかり生活の一部になっているので、いまでも通っています。
合唱を始めたのは、60歳の定年を迎えるちょっと前のことです。歌が特別に好きだとか上手だとかではありませんが、やりたくなって始めました。義務づけられているわけではないのに欠かさず練習に通っていたのは、なんのことはない、自分が行きたいからというだけのことです。

畑村洋太郎 著
不思議なもので、合唱の練習に行った日の夜は熟睡できる上、翌朝の目覚めも爽やかです。わからない外国語を発音し、譜面の音を出そうと必死に努力するので、頭が疲れたり、発声で慣れない喉の筋肉を使って疲れるからだと以前は思っていました。しかし最近では、やりたいことをやっているから、ストレスの発散ができているのだと思うようになりました。
ちょっとだけ困っているのは、散歩の最中にメロディーが滲み出てくると、つい口ずさんでいることです。声が大きくなるときもあるようで、家内が言うには「近所の人から、ご主人が歩きながら歌を歌っていたと言われた」ということです。自分では気付いていなかったので、気をつけなければいけないと思いました。
譜面がめくれなくなって、どこを歌っているのかがわからなくなり、ついていけなくなってしまったので、合唱は去年止めました。しかし、今でも合唱に通っていた火曜日の夕方になると、練習に行きたくなります。