自身の失敗や老いの兆候を認めるには、大きなストレスを感じるもの。長年、失敗の研究をしてきた著者は、失敗をしたあとのリフレッシュ方法は老いと向き合う際にも効果があるはず、と語る。本稿は、畑村洋太郎『80歳からの人生をそれなりに楽しむ 老いの失敗学』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
「人の弱さ」と「失敗」には
深い関わりがある
失敗学を提唱して以来、私のところにさまざまな人たちが失敗に関する相談に来るようになりました。時間に限りがあるのですべてに対応することはできませんが、社会的に影響が大きい失敗や、当事者が深刻なダメージを被っている場合はなるべく受けるようにしてきました。そんな中であらためて感じたのは、「人は弱い」ということです。
誰でも経験したことがあると思いますが、明らかな失敗をしているのに、それが失敗であるとすぐに認めることができないものです。これはまさしく人の弱さが原因です。そして、現実を見ないで、失敗の上にさらに失敗を重ねるように動いたりします。こういうのは最悪で、ようやく失敗を認めることができたときには手遅れになり、傷口が大きく広がって多大なダメージを受けるというのがよくあるパターンです。
中には最初から潔く失敗を認めることができる人もいますが、そういう場合でも失敗の直後に正しい対策をすぐに行うのは難しいようです。これもまた人の弱さが原因です。失敗によるショックやダメージは、心に穴を開けてエネルギーを消耗させます。このエネルギー・ロスはかなりの痛手で、エネルギーが回復しないことには正しい判断や行動ができないので、失敗の直後にすぐその後始末をうまく行うことはなかなか難しいようです。
この状態は、老いの問題に直面しているときとなんとなく似ているように思います。老いるのは長く生きていれば誰もが経験することですが、衰えの兆候があってもなかなか認めたくないものです。謙虚に認めることができたところで、立ち向かうための気力はなかなか出てきません。そもそも老いは避けることができないものです。どんなにあがこうが、最後は受け入れるしかないとわかっているので、真正面から戦う気力は失敗以上に出にくいようです。
それでも必要なときはあがいたほうがいいと思います。といっても老いそのものを否定するのではなく、老いによって生じている問題への抵抗です。現状を受け入れずに戦うことで老害と言われることもあるでしょうが、人に迷惑や実害を与えず、自分自身も致命的な状況に追い込まれないことなら、遠慮せずにやっていいのではないでしょうか。そのほうが心の健康のためにはよいこともあるからです。