中学の卒業式の日、親の郵便局の預金40万円を引き出して盗んだ。夜中に家を抜け出して、始発の電車に乗って成田空港に行った。

「ニューヨークに逃げた。なにか夢があったとかじゃなくて、ただただ親が絶対見つけ出せないような外国に逃げたかっただけ。父親も母親も世間体を気にする人で、高校には行かせないなんて言っていた割には、学校の成績が悪いのは許されなかった。成績が悪いと死ぬほど殴られるから、薄々と英語の勉強をしながら外国に逃げたいって思っていて実行した。飛行機が空を飛んだときはうれしかった。やっと逃げられたって」

 あかねさんはそう言いながら外国語を話した。なにか英語を話して、次はフランス語ねと日本語で言って、流暢にフランス語を話していた。

「親から盗んだお金だけじゃ、何日も暮らせないから仕事しなきゃならない。当時アメリカはすごく不景気だった。日本と同じで15歳の子どもが働ける場所なんてなくて、カラダを売ることにした。セックス経験は、父親しかないわけだから、エッチに夢とか希望なんてない。すぐにできたよ。

 売春街みたいなところがあるんだけど、19歳とか適当なことを言ったら働かせてもらえた。ストリートガールっていうの、外に立って客をとる立ちんぼみたいな感じ。毎晩、誰かしらに買われて、モーテルみたいなところに客と泊まっていた。つらいことはなにもなかった。怖くないし、優しいし、エッチするだけでいい。ラク。日本円で一晩5万円くらいもらっていたし、生活には全然困らなかった」

 カラダを売れば生きていけるとわかった。9月から高校、ハイスクールに通うことにした。売春のお客だった中小企業を経営している黒人男性に気に入られ、「売春をやめて、俺の愛人になれ」と言われた。その男性は定期的に肉体関係になるだけで生活の面倒をみてくれた。最終的に高校だけでなく、州立大学まで卒業している。

 8年間、アメリカで過ごして帰国し、アメリカで知り合った日本人男性と入籍した。

書影『私、毒親に育てられました』(宝島社新書)『私、毒親に育てられました』(宝島社新書)
中村淳彦 著

「日本で病院に勤めたけど、ある日、母親から電話がきた。会いたくなかったけど、十数年ぶりに会った。なんの用かなと思ったけど、やっぱりろくでもない話だったよ。元気、久しぶりみたいな言葉は一言もなくて、カネ出せって。貯金くらいあるでしょって。

 借金があって首が回らないから、あんたが全部払ってくれって。断れないよ。絶対に断れない。ずっと殴られてきたし、口答えなんかしたらたぶん殺される。親には絶対になにも言えない。だから、病院は辞めた。1500万円なんて病院勤めの給料じゃ返せないから、それでソープ嬢になったんだよね」

 なにも知らない夫は、妻は病院に勤めていると思っていたそうだ。