顔を隠した少女写真はイメージです Photo:PIXTA

毒親とは、あらゆる手段で子どもの人生を支配し、悪影響を与える親のことだ。毒親は子どもの心と人生を破壊することも少なくない。静岡県出身の晃子さん(仮名・39歳)は、毒親が他界したいまもなお、過去に囚われ続けているという。その壮絶な半生をノンフィクションライターの中村淳彦著『私、毒親に育てられました』(宝島社新書)より一部抜粋・編集してお送りする。

元ヤンキーの母による
異常な暴力

 歌舞伎町の老舗喫茶店に静岡県出身の晃子さん(仮名・39歳)がやってきた。

 晃子さんは食品製造会社で品質管理の仕事をしている。地方国立大学院卒だが、「半年前から休職中で傷病手当をもらっています。精神的に病んでしまいました」と言っている。

「上司との関係で精神的におかしくなって、髪の毛をちぎる癖が止まらなくなりました。食品会社なので川が近くにあって、最終的には今年(2023年)の2月に入水自殺しようと川に入った。でも、死ぬことはできませんでした。もう、働けないってことで休職をした感じです。親とか上司のせいだけではないけど、やっぱり母親から受けた虐待とか、暴言がうまく生きられない根底にあると思っています」

 晃子さんは父親が32歳、母親が18歳のときに生まれている。一人娘で、母親は高校中退のヤンキーだった。17歳のときに若くして結婚し、18歳で出産している。晃子さんが地方国立大学院在学中の24歳のとき、父親は56歳でがんで死去、母親はあとを追うように42歳のときに拒食症でやせ細って死んだ。

「子どもの頃から、とにかく母親の暴力がすごかった。勉強は好きだったから教育虐待とは違うかもしれないけど、暴力を受けながら勉強をさせられたことは事実です」

 元ヤンキーの母親はとにかく暴力的で、物心ついた娘に対して鼻血が出るまで殴るような暴力を日常的に振るった。

「夜になると『カーテン閉めて』って言われる。けど、それで閉めてもカーテンの裾の重なり具合が気にいらなかったとします。それだけで思いっきり殴られます。『宿題やったの?』と言われたら、『今からやる』と返答すると殴られます。母親は当たり前のようにグーで殴ってくるので、本当に痛い。そんなことが日常で、いつもボコボコにされていました」

 夕飯の支度は必ず手伝うというルールがあった。子どもには母親がいつから料理をはじめるのかわからない。手伝ってほしいと、声もかけてくれない。

「ご飯の支度をすると台所からカタカタって音がするじゃないですか。それが聞こえたらすぐにパッて行かないと殴られる。宿題が忙しいとか、読書をしていたとか、なにかやっているときに面倒くさいみたいな雰囲気を出したら殴られます。とにかくずっと暴力なので、怯えるような感じになる」

 母親は健康状態が悪い人だった。ヘビースモーカーでセブンスターを一日何箱も吸っていた。本格的に母親が体調を崩したのは晃子さんが中学生のときで、60キロ台だった体重が40キロを切るくらいまで痩せた。