「痩せても暴力は変わりません。でも、手で殴ってもパワーがないし、殴っている自分の手も痛くなる。だから中学生の頃から、掃除機の筒で殴るようになった。怖ろしいから避けるけど、肘とか腕で受けると骨が折れるんじゃないかと思うくらい固かった。
とにかく怖い。痛いから『ごめんなさい、ごめんなさい』って言うけど、『そのごめんなさいに誠意がない!』って、もっと殴ってくる。機嫌によってはフルスイングもあって、さすがに殺意はないだろうけど、母娘の関係は一線を越えている感じでした」
異常な身体的虐待は日常だったが、父親は一貫して見て見ぬふりをした。暴力がはじまると娘への虐待を見たくないから、どこかに行ってしまう。父親に助けてほしかったが、結局、母親のことを注意したり、虐待を止めたことは死ぬまで一度もなかった。
見栄のためだけに
進路を強要する母親
3歳か4歳の頃から母親に勉強をさせられた。暴力的な母親がついて九九を覚えることからはじまった。間違えると平手打ちをされた。幼稚園時代に九九を覚えてからずっと勉強はできた。ずっとクラスのトップに近かったことで、母親は晃子さんに県内最難関のA高校に進学することを期待した。A高校は県内のトップブランドであり、老若男女すべての県民がすごいと褒め称える。
「母親だけでなく、親戚全員が学歴の話ばかりをする。学歴厨っていうんですか。うちだけじゃないけど、田舎はそういう家が多い。あの子はこの高校に行った、あの大学に行ったみたいな話ばかり。母親は思春期にグレて不良になったので、自分は高校中退。低学歴だったことでいろいろ悔しい思いをしたみたいで、私が勉強できると知ったら進学先は『絶対に、必ずA高校』って言いだした。それ以外は絶対にダメという感じでした。A高校にこだわる理由は、親戚、近隣、友だちに見栄を張るためです」
暴力的な母親による日常生活の身体的虐待は続いた。勉強が好きだった晃子さんは小学校、中学校の成績はそれなりの成果を残している。