錦織圭、マリア・シャラポワ、大坂なおみ、ネリー・コルダ……指導した数々の選手を世界トップレベルに導いてきたトレーナー界のカリスマ、中村豊。彼に指導を受けた選手たちは、アスリートとして大幅なステップアップを遂げています。
中村はトレーニングによってのみ身体能力が向上するわけではなく、必要なのは「トレーニング」「リカバリー」「栄養」の3つのメソッドだと語ります。そして、この3つを適切に行えば、一般の人でも身心が健全に整い、若さを持続できると主張するのです。その実践方法を分かりやすく具体的にまとめたのが、中村の初著書『世界最高のフィジカル・マネジメント』です。本連載では同書から「世界トップの選手に対する指導法」や「そこから導き出した誰もが健全な身心を獲得できるメソッド」をお伝えしていきます。
シャラポワはトッププロの中では突出して身体能力が高い選手というわけではありません。そんな彼女が長い間テニス界のトップとして君臨できた理由は、徹底的な自己管理と強烈なプロ意識にあります。今回は、そんなシャラポワの真のプロフェッショナリズムを紹介しましょう。
本物のプロフェッショナルとは何か
トレーナーとして指導する一方、僕の方がシャラポワから学んだのは、本物のプロフェッショナルとは何か、ということです。プロとはまず結果を出すこと、そのために彼女はあらゆる努力をしていました。靴紐一つを結ぶにも慎重に時間をかけ、アップの段階からすでにトップギアに入っている。優勝した夜でさえ翌日の練習の打ち合わせをするほどで、カジュアルという感覚が彼女の人生にはないんじゃないかと思うほどでした。
他の選手や関係者に媚びず、ツアーに友人はいらないと公言するほどの徹底ぶり。大会会場のラウンジには極力足を踏み入れず、コート以外で過ごす時間は必要最小限に留めていました。彼女にとって試合会場は、仕事場であり戦場なのです。
一方、プロとして「見られる」ということにも常に意識を払っていました。コートに出る時はきちんと身支度を整え、コート内でもコート外でも常にエレガントな存在でしたね。食のコントロールにも余念がなく、栄養バランスを考え、ジャンクフードなどには一切手を出しませんでした。ケーキ一切れ食べるにも、これが自分にどんな影響を与えるか考える、本物のプロアスリートでした。
チーム全員に浸透するプロ意識
シャラポワはチームスタッフにもプロフェッショナルを求めました。チームには常に良い意味での緊張感が漂っていました。全員が勝利のために自分の役割を果たす、この環境は僕にとってもやりがいのあるものでした。自分にもスタッフにも厳しいシャラポワでしたが、結果が出ないことをコーチやスタッフのせいにする、といったことは一度もありませんでした。
個人競技であるテニスにおいて、チームという感覚を取り入れた点でもシャラポワは先駆者の一人でした。それまでのテニスプレーヤーは、コーチと二人三脚でツアーを回るという形態が普通でした。今の選手はさらにフィジカルトレーナー、ケアトレーナー、ヒッティング・パートナー等をツアーに帯同しています。
近年のテニス界、そしてスポーツ界はあらゆる面でプロ化が進んでいるのです。チームは各分野のスペシャリストで構成されています。特にチーム・マリア(・シャラポワ)は経験豊富な人材が揃い、鉄壁のチームワークを誇っていました。ちなみにチーム・マリアを構成するコーチはオランダ人、ヒッティング・パートナーがアメリカ人、ケアトレーナーがフランス人、フィジカルトレーナーが日本人、そしてプレーヤーはロシア人と国籍もバラエティに富んでいたため、「チーム・ユナイテッド(国連)」などと呼ばれたものです。
僕達指導者は長年のツアー生活から、様々な闘いの中で揉まれてきています。それなりの成功を収める一方、多くの葛藤も経験します。そうした中で、お互いをリスペクトできる環境で仕事がしたい、仲間と一緒に夢を追い続けたいという思いでチーム・マリアに参加しました。チーム・マリアは思っていた以上に素晴らしい存在で、そこで得た経験は自分にとって本当にかけがえのないものになっています。
テニス界の女王の完璧な引き際
シャラポワと共にツアーを回った7年間は、トレーナー人生の一つのハイライトと言える時期でした。一人の選手と真剣に向き合い、全て出し尽くしたという充実感が自分の中にありました。これからは腰を据えてじっくりと選手の育成や研究を行いたいと考え、2018年よりIMGアカデミーに戻ってストレングス(筋力トレーニング)とコンディション(体調管理)部門の統括を務めることにしたのです。
マリア・シャラポワが引退を表明したのは2020年のこと。それは雑誌のインタビュー内で語られました。コート外での派手なセレモニーを好まなかった彼女らしい幕引きした。
引退を知った僕は、フロリダから彼女にねぎらいの電話をかけました。
「お疲れ様」とかけた言葉に、「アップダウンがあったけど、長い間私に尽くしてくれてありがとう」という感謝の言葉がシャラポワから返ってきました。
その時、一緒に過ごした7年間の数々の想い出が甦ったのです。全仏初優勝でシャラポワによって掲げられたトロフィーの輝き、初夏のウィンブルドンの眩(まばゆ)い芝生、チームスタッフとの固い絆……もう、あれだけ激しい濃密な時を過ごすことはないだろうと、少し感傷的な気分になったものです。
(本原稿は中村豊『世界最高のフィジカル・マネジメント』から一部を抜粋・編集して掲載しています)