「今夜は一緒に休もうね」の言葉に
こぼれるような笑みを浮かべた妻

 私が到着するまでにどんな手当が行われたのか、家内の徐脈は1時間余りでやや正常に復しはじめた。

「ホテル住いは、やっぱり便利だよ。10分もかからずに病院に着いてしまった。鎌倉からだとこうはいかないからね」

 だから安心しなさいという気持を言外に込めていうと、家内は無言で肯いた。

 若いQ担当医が、

「もう大丈夫だろうと思います。お騒がせしましたが、どうぞホテルに戻ってお休み下さい」

 といった。

 ホテルには戻ったが、なかなか眠るどころではない。全く、大舟に乗ったつもりでいたところに、深夜再び急変が起ったのだから、これからはいつ何が起るかわからない。そのときはかならず、何を措いても家内のそばにいてやらなければならないという気持がつのった。

 それから数日のあいだは、姪たちが次々と現われたり、遠い所からの見舞客があったりして、病室に多少の動きが生じた。私はといえば、最初の晩の深夜の電話のせいか、ホテルでベッドにはいっても、2時間置きに眼が覚めるようになっていた。それが病室のアーム・チェアに腰を下ろすと、20分でも30分でも昏々と深く眠ることができる。

書影『妻と私・幼年時代』『妻と私・幼年時代』(文藝春秋)
江藤 淳 著

「この人は病院に眠りに来ているのよ」

 と、気分のよいとき家内は姪たちにいっていた。

 しかし、10月7日、9日と家内の容態はよくなかった。9日にはついに泊り込みを決意し、その支度をして病院に行き、簡易ベッドをひろげて、私は家内にいった。

「今夜は久しぶりで一緒に休もうね」

 その言葉を聴いた家内は、一瞬両の眼を輝かせ、こぼれるような笑みを浮べた。あの歓喜の表情を、私は決して忘れることができない。