信頼のおける庭師と使用人に家を託し、
病院近くのホテルに泊り込むことを決意
病室に到着すると、家内の意識は混濁しているというのではなかった。言葉が発語できないというのでもなかった。ただ、今まで彼女を支えて来た生命の柱が俄に崩折れたとでもいうように、全身が弱り、声に目立って力がなくなっていた。
「大学に、行かなくてもいいの?」
と、その声の下から家内がいった。
「さっき連絡して、断ったからいいんだ。このあいだも、うちの事情はよく説明して置いたから」
私は、この日から横浜東急ホテルに泊り込んで、毎日少しでも長時間家内のそばにいることにしよう、と心に決めていた。
実際問題として、病人に電話が取れないのであれば、当然ナース・コールも儘にならない。看護婦の問診にいわゆる「御家族の方」の存在が必要になるのは、まさにここにおいてである。そして、危篤といってもよい病人に昼間附添ってくれるような信頼できる附添婦は、いくら探しても見付からなかった。
一度家に戻った私は、まずN犬猫病院に電話して、犬のメイを預ける手配をした。メイが戻って来ても、そのとき家内は決して戻って来ない。そして、次には庭師の親方のSさんに来てもらって状況を手短かに説明し、Sさんとお手伝いのKさんに不在中の家を託すことにした。
夫婦で外国に出掛けたり、軽井沢の山小屋に行っていたりすれば、毎年のように家は留守になる。今回も同じようなものだということもできるのかも知れないが、それが同じであり得るはずはなかった。
Sさんはこの家を建てたとき、庭を造ってくれたA大親方の助手を務めた人だから16年半、Kさんもその翌年から数えて15年、わが家のために働いてくれている。家内と私に何が起りつつあるか、この人々ほどよく知っている人たちはいないはずであった。
病院に帰って、H主治医と若いQ担当医、それと婦長に、ホテルにチェック・インしたことを報告し、家内の容態次第では先日の次兄のように、簡易ベッドに泊り込んでもよいのだがと、病院側の意向を訊いた。
H主治医は、まだその必要はないと、はやる私を慰めるようにいった。それに同調して婦長もいった。
「今からそんなに飛ばしていたら、御主人のほうが参ってしまいますよ。今夜は私の当直ですから、大舟に乗ったつもりでホテルでお休み下さい」