名人。

 ふと立ち止まって眺めてみると、不思議な二文字にも思えてくる。

「名」も「人」も「小学1年生で習う漢字80字」に含まれる素朴な単語だが、口に出した時の響きは重い。

 小粋な芸達者という趣をどこかに持ちながら、歴史に名を残す英傑の大きさを語っている。そして、何かの道に大志を抱く者の心を捉え続ける魔力を有している。

 将棋を指して生きることを志し、後に棋士になるような者は必ず名人を夢見る。程度の差はあるだろう。あえて言葉にしない者もいる。

 けれども、心の中に「名人」の二文字をわずかにも描くことのない者は棋士にはならない。決してなれない。

 2020年に刊行され、23年8月に文庫化された『藤井聡太のいる時代』の第一章「成長編」でも紹介した挿話では、5歳で将棋を始めた藤井聡太は1年後、幼稚園で催された誕生日会のバースデーカードに「おおきくなったらしょうぎのめいじんになりたいです」と書いている。

 小学4年になると、学校の授業で書いた自己紹介カードに大きな文字で「名人をこす」と宣言している。

 中学2年の奨励会三段だった16年9月3日、14歳2カ月の史上最年少棋士になることを決めた後の会見で語っていた。

「名人はいちばん格式のあるタイトルなので、絶対に取りたいと思います」

 今になって振り返ると、とても珍しい言葉だと言えるだろう。藤井はデビュー以降、普通なら誰しも求める記録や称号や肩書などには全く興味を示してこなかったからだ。

 誰よりも、ただ将棋のことだけを見つめて頂点へと駆け上がってきた棋士だが、こと「名人」というタイトルについては特別な思いが見え隠れすることがあった。

6歳で記した夢の実現まであと一歩
14年前の「自分に教えてあげたい」

 2023年3月8日夜。正確には日付の変わった9日午前1時頃のことだった。

 藤井は第81期A級順位戦のプレーオフで広瀬章人との大一番を制し、名人3連覇中の渡辺明への挑戦権を獲得し、感想戦終了後の会見に臨んでいた。

 淡々と質疑が進んだ途中、私は「名人という二文字への思いはどのようなものか」と尋ねた。藤井は少考した後で答えた。

「名人は自分が将棋を始めた頃から言葉を知っていて、挑戦するんだ、ということは改めて感慨深いものがあります」

 問いを重ねる。6歳の時、初めて「名人」という言葉に触れたであろうバースデーカードのことは覚えているか、と。