20歳の名人挑戦者は、前日の午前10時から14時間近くも続いた大勝負を終えた後とは思えないような微笑を浮かべながら、なぜだか少し笑い声を上げながら言った。

「全く自分では記憶していなかったんですけど、将棋を始めたのが5歳の頃なので、6歳で、というのは随分と大きく出たな、と。結果的にこれから名人戦の対局があるわけですけど、名人戦という舞台に立つところまで来たことは当時の自分に教えてあげたいと思います」

 いつもより心の動きが現れた言葉だと思った。大きく出たな、という藤井流ジョークを発したのは明らかに高揚によるものだったし、夢見た舞台に辿り着いたことを14年前の小さな自分に伝えたい、という感傷を誘うものが「名人」という地位に対する彼の思いなのだと。

「自分は棋士の価値を信じています」
客観的な正解より主観的な『良い手』を

 2020年7月、初タイトルの棋聖を得た会見で藤井に尋ねたことがある。

「AIとの共存期において、人間、あるいは棋士が持つ可能性についてどのように考えているのでしょうか」

 当時17歳の青年は少考した後に言った。

「今の時代においても将棋界の盤上の物語は不変のもの。その価値を自分自身も伝えられたらと思います」

 体温のある言葉だった。様々なことがAIに代替され始めた時代における希望の声に聞こえた。あの「物語」の本当の意味とは何なのか。2023年5月、名人戦第3局(編集部注/第1局、第2局ともに、挑戦者の藤井は当時の渡辺明名人を破っている)が行われる大阪への移動中、3年後の答えを聞いた。

書影『藤井聡太のいる時代 最年少名人への道』『藤井聡太のいる時代 最年少名人への道』(朝日新聞出版)
朝日新聞将棋取材班 著

「対局に現れるのは指した手だけですが、指されなかった手も存在します。それぞれに意図があり、重なり合って一局の将棋になる。そのようなストーリーの面白さが伝わればいいなと思うんです。意図を持って指し手を選ぶという人間ならではのことを自分は大切にしたい」

 人間は苦しみ、悩みながら考える。選択肢に揺れ動きながら、決断して一手を指す。「指されなかった手」が最善だったと後に分かって後悔もする。そのような物語には不変の価値がある、と彼は定義していた。

「棋士の価値は見る方が決めるものですが、自分は棋士の価値を信じています。そして客観的な『正解』ではなく、主観的な『良い手』を指したい。思いは今も変わることはないです」