『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』著者の山口揚平さんがお金をテーマにさまざまな人と語り合う対談シリーズの第16回。今回のゲストは、マネックス証券代表取締役社長CEOの松本大さんです。自ら「松本マニア」と公言する山口さん。松本さんが起業されたころから敬愛の念を込めて注目してきたといいます。おふたりの共通関心事である「マネー」について、じっくりと語り合います。

悪いときは続かない。必ず波はやって来る

山口揚平(以下、山口) 最初に、20代の頃の松本さんのお話を伺わせてください。

 多くのビジネス書が仕事の効率化を謳っているのに対して、松本さんはご著書のなかで、仕事に向き合う姿勢として「仕事にプライオリティはつけず」「仕事の整理法も考えず」と書かれているのが新鮮に映りました。僕も自分の20代を振り返ると、松本さんと同じように、効率化や優先順位をつけることなどまったく考えていませんでした。目の前の仕事が楽しかったですし、お金を稼ごうという考えがあまりなかったからです。松本さんの仕事に対する姿勢は、20代の頃から変わっていらっしゃらないのですか。

松本大(以下、松本) やっていることは今と同じで変わっていませんが、20代の頃はそういうふうに行動していただけで、自分の考えやスタイルとして整理して自覚はしていませんでした。

山口 どんなことを考えておられたのですか。

松本大(まつもと・おおき)マネックス証券代表取締役社長CEO。87年東京大学法学部卒業後、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券入社。その後、ゴールドマン・サックス証券に勤務し、94年に30歳で同社最年少ゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。99年にマネックス証券を設立した。『「お金の流れ」はこう変わった!』(小社刊)、『お金という人生の呪縛について』(幻冬舎)など著書多数。

松本 僕は新卒でソロモン・ブラザーズに入社しました。今でこそ日本の大学を卒業後、新卒として外資系企業に入社する人も多いでしょうが、僕らがその「はしり」だったと思います。

 期待に胸を膨らませて入社したものの、僕らの上にいた先輩たちは中途入社した経験者ばかりで、高給を取って、大きな仕事をやっていました。実績を積んで入社した彼らは、そもそもドルベースで高給を取っていたうえ、1ドル200円ぐらいのときに入っています。僕らが入社したころは120円ぐらいでしたから、ドルベースはもちろん、円にすると報酬レベルが全然違うわけですよ。当時のそんな状態に「入社時期が遅かったんじゃないか」と痛感したのです。面白そうで大きな仕事は先輩にすべて持っていかれる、報酬も違う。いい時代は終わってしまったんじゃないかと。そんな風に考えたのが、入社して1週間ぐらいでしたね(笑)。

山口 そんなに早く!

松本 ただ、すぐに考え直したんですよ。ちょっと待てよ。すべてのことには「波」があるので、必ずまた次の波が来るはずだ、と。

 野球でも、ボール球ばかりでは試合が終わらない。必ずストライクが来る。ストライクが来たときに確実に打つには、素振りをやっておかなければならない。ボール球しか来ないからといって寝転がっていると、ストライクが来たとしても絶対に打てない。来るのが遅かったんじゃないかと痛感してから数週間も経たないうちに、そんなふうに思い直したんです。それからはまったく悩まず、ひたすら働きました。何だか困ったヤツですよね(笑)。