筆者はこれまで、いわゆる「自己啓発本」にまつわる取材も続けてきました。多くの書籍に共通するのは、現状維持の否定と、行動や習慣を変えることの意義を説く点です。

 自らの意見に同調し、従えば、より豊かに生きられる―。自己啓発本の著者たちは、読者にそう迫ります。これは見方を変えれば、著者らが理想とする「人財」像に、読み手自身を適合させる要求とも言えます。心のありようは、意志により操作可能である。同様の主張は、今回分析した経済誌にもみられました。ビジネス的・自己啓発本的な思考は各々、相似形をなしているのです。

「人財」表記に企業が込めた願い

 こうした図式は、インターネット空間にも見いだすことができます。例えば、著名人などが組織するオンラインサロン。ビジネスプランの考案といった、様々な課題をこなし、起業を始めとした「独り立ち」を目指す。そんな趣旨で運営されることが少なくありません。

 一方、「主宰者に認められたい」との思いが、参加者を振り回すことも。終わりなき承認競争の中で疲れ果て、心をすり減らした末、退会した経験談をブログなどにつづる人も存在します。「認められたい」という欲求を煽るスパイラル。SNSのタイムライン上に流れてくる「結婚した」「有名企業に転職できた」といった友人・知人の近況報告が、それを一層増幅させていきます。

【419冊の経済本を分析】何で「人財」って書くんですか?~うさんくさい「啓発」の言葉『うさんくさい「啓発」の言葉 人”財”って誰のことですか?』
神戸 郁人 (著)
定価957円
(朝日新聞出版)

「人財」を巡る考え方も、よく似た色彩を帯びているかもしれません。企業に対し、「成長できるか」「仕事ができるか」という観点から、働き手の人間性を評価するよう促すからです。その結果、労働者たちは、企業が求める「人財」の指標に縛られてしまいます。このような特徴を持つ点で、「人財」は一連の自己啓発的な営みと、地続きであると言えそうです。

 日本経済が漂流する時代に成長した、「人財」という概念。それは組織の生き残りを賭け、労働者の雇用と、「どれだけ業務に役立つか」という功利的視点とを両立させたい、企業側の「選民主義」を象徴しているように思えます。この言葉の呪力と向き合うことは、社会の閉塞感のありかを診断する、一つの手立てになるのではないでしょうか。

AERA dot.より転載