自分たちの力でたくましく生きていってほしかったので、息子たちが大学を卒業したら家から出ていってもらおうと、以前から考えていたのです。

 解散宣言をした当時、30歳になっていた長男はすでに独立しており、高校の3年間、イギリスに留学していた27歳の二男は一人暮らしに抵抗がなく、大学を卒業したばかりの三男だけが私と一緒に住みたいとゴネていました。それでも、「じゃあ、毎月5万円家賃を払ってね」と言ったら、すんなり家を出ていきました。やれやれと安心した一方で、気がかりだったのは夫のことです。それまでの約30年間、彼の生きがいになっていたのは息子たちとの生活でした。外で仕事をしている私に代わり、食事の支度や息子たちの世話を一手に引き受けていた。私が家族解散宣言をしたことで、夫から生きがいを奪ってしまったのかもしれないという懸念があったのです。

 結果として、夫は三重県にある彼の実家に帰ることになりました。義母が亡くなったあと、夫の父が一人で担っていた実家の畑仕事を手伝いたいということで、私は仕事に便利な都内のマンションに引っ越しました。

書影『Life Closet』(扶桑社)『Life Closet』(扶桑社)
西ゆり子 著

 それぞれが自分に合ったスタイルで始めた新たな暮らし。それなのに、その数年後に夫はスキルス性の肺がんを患って、66歳の若さで亡くなってしまった。通院治療をしていた最後の日々は私と一緒に東京の家で過ごしたけれど、こんなことになるのなら、解散などせずに家族みんなで一緒に暮らしていたほうがよかったかもしれない――ずっとくよくよしていましたが、答えは今も出ていません。

 ただ、ひとつ言えるのは、いくらその決断が正しかったかどうか悩んだところで、選ばなかったほうの道は決して歩めないということです。AかBか、自分の意志でどちらかを選んだのですから、選んだほうの道でベストを尽くしていくしかありません。まだまだ試行錯誤の日々ですが、人生のフィナーレに、「この道を選んでよかった」と思えるように生きていきたいと思います。