15~18世紀において、ヨーロッパで多発した魔女狩り。その背景と原因を専門家が分析した。人間の危機感と不信感をもたらす状況は現代にも通じるものがあるだろう。※本稿は、池上俊一著『魔女狩りのヨーロッパ史』(岩波新書)の一部を抜粋・編集したものです。
魔女狩りが荒れ狂った時期に
寒冷多湿の夏、厳冬が続いた
魔女狩りが横行する背景としては、何らかの災いが蔓延して人々に不安心理が広がる状況が当然考えられよう。
第一に、気候不順が挙げられる。気候が悪化すると農作物に被害が及び、飢饉が起きる。栄養不足で弱った身体に病気が襲い掛かり、食物不足はインフレをも加速させる。こうした生活全体を脅かす状況は人々を疑心暗鬼にし、その災厄の原因を普通の自然要因ではない超自然的現象、つまり魔女の妖術に帰すことになったのだろう。
ヨーロッパで魔女狩りが全般的に荒れ狂った1560~1630年は「小氷期」と呼ばれるにふさわしい寒冷多湿の夏と長期にわたる厳しい冬が繰り返し、それが何年もつづいた。いったん回復したものの、1660~70年代には同様な気候が再来した。魔女の害悪魔術中に天候魔術が大きな部分を占めていた事実も、気候不順と魔女狩りとの密接な関係を推定させる。
魔女狩りの蔓延と悪天候との関わりを具体的に示す例として知られているのは、ロレーヌ地方北部のメッスでの件である。葡萄栽培を主産業としていた当地では、1456年、1481年、1488年に魔女迫害が起きたが、それらはいずれも、霧雨と寒気の連続や雹や雷を伴う冷害または多雨による葡萄への深刻な被害がきっかけになっている。
またウンターフランケン地方のツァイルで1626年に発生した魔女狩りは、葡萄畑が氷結により壊滅したのがきっかけで、細民が煽動して行われた。
さらにより広く、16世紀末~17世紀30年代の南ドイツやフランス・スイスの国境地帯の苛烈な魔女狩りも、年代記や司法官の記録や請願状によると、気候悪化とそれに起因する凶作他の災厄が原因だと推測できる。
14世紀にペストが大流行するも
疫病と魔女狩りの関連性は低い?
第二に、疫病はどうだろうか。魔女は毒薬を用いた害悪魔術を得意とするので、彼女らは当然疫病流行の責を負わされそうなものだが、こちらは気候悪化(による凶作)のケースほど関連性は明らかではない。
14世紀半ばにヨーロッパじゅうを襲い、その後も断続的に大被害をもたらしたペストのような急激・大規模で標的を定めない激甚なる疫病を、悪魔の奸計、魔女の害悪魔術とするのは(魔女の被疑者まで次々斃れてしまうため)無理があり、むしろ罪深い人類への「神の怒り」「神罰」と理解されたのだろう。