マラリア熱も重大な病だったが、その発生場所が沼沢地などの水辺に限られているところから、瘴気や他の環境要素に帰された。また各地でインフルエンザ、チフス、赤痢、天然痘が蔓延して大きな被害が出ることがあったし、梅毒などの性病も多くの知識人の関心を引いた。

 しかしどんな個別の病も、裁判記録や悪魔学書において、魔女と結びつけられておらず、告発材料にはなっていない。さらに魔女による身体攻撃は、不特定多数を狙うのではなく、特定個人への呪いによる攻撃が通常のパターンとされたことも、疫病と魔女との結びつきを弱めたに違いない。

 魔女の害悪魔術は時間と空間が限定され、加害対象も特定の人やもの、というのが一般的な考え方だった。

 しかし、ときには疫病を契機とした魔女迫害も認められる。たとえば1453年南西フランスの小都市マルマンドで疫病が流行ったときに、妖術で疫病を引き起こしたとして、数人の女性が正式な裁判に掛けられる前に殺害された。

 カルヴァン派のジュネーヴでは、1567~68年と1571~72年に、数年にわたる疫病蔓延を背景に魔女パニックが起きた。ここでは、ことにペストの毒入り油を家々の出入り口や壁に塗る「ペスト塗り」(engraisseurs)として魔女が迫害されたのである。

 1630年には、近隣のサヴォイアとミラノでも「ペスト塗り」裁判が起きた。さらに1611年の南ドイツのエルヴァンゲンでの魔女狩りも疫病がきっかけだった。

戦争と魔女狩りの関係
「魔女狩りは平和なときに起きる」

 それでは三番目に、戦争との関係はどうだろうか。ヨーロッパでは近世に入るとドイツ農民戦争(1524~25年)、フランス宗教戦争(1562~98年)、三十年戦争(1618~48年)、フロンドの乱(1648~53年)と戦乱がつづいた。

 これらの戦争に直接巻き込まれていた時期・地域には、魔女狩りは少なく、「魔女狩りは平和なときに起きる」という言明は正しいようだ。

 戦場や敵軍に占領された土地はもちろんのこと、軍隊が通過し、宿営させている町村でも暴力、強姦、略奪、畑の荒廃があり、行政は混乱して司法機構も普段のようには働かない。