立川の米軍基地付近にフライフィッシング場を作ったら、暴力事件や性病が目に見えて減ったワケ写真はイメージです Photo:PIXTA

トマス・ブレークモアは、1915年にオクラホマで生まれ、戦前の東京帝大に留学、戦後はGHQのスタッフとして日本再建に汗をかき、1950年に法律事務所を開設した。1994年に彼が亡くなってもなお、その名を冠した事務所(東京・霞が関)では多くの弁護士たちが活動を続けている。だが、そんな知日派のブレークモアは、日本への進出を計画するクライアントに、その難しさを強く警告していたという。※本稿は、ロバート・ホワイティング著、松井みどり訳『東京アンダーワールド』(KADOKAWA)の一部を抜粋・編集したものです。

東京の郊外で米国人を魅了した
清冽な渓流には魚がいなかった

 ブレークモアは、故郷のオクラホマでは熱心なアウトドア・タイプを自認していた。その彼が、1950年代半ばに、養沢川という日本の河川に惚れ込んだ。彼を魅了したのは、東京から電車で西へ1時間ほど行ったところにある、周囲を美しい木立と小さな山村に囲まれた、全長数キロにわたる谷あいの河川敷だ。

 この川に一つだけ問題があった。魚がいないのだ。いるのはせいぜいミノウなどの小魚ばかり。

 マス釣りが大好きなブレークモアは、村のリーダーを探し出し、自分のアイデアを伝えた。マスの稚魚を養沢川に放流し、村にフライフィッシング施設を作るという計画だ。――費用はすべて自分がもつ。軌道に乗ってきたら、釣り人から入漁料をとり、村の収益にすればいい――。

 ブレークモアはすでに大金持ちだし、公共心に満ちあふれているから、私腹を肥やそうという気持ちはこれっぽっちもない。自分がここで魚釣りを楽しめればそれでよかった。

 村のボスは、この外国人は頭がおかしいのだと思った。日本人は魚が大好きな国民だが、フライフィッシングなどというものは誰も聞いたことがない。

「虫ではなくて、ニセの餌で魚を釣るだと?しかも、せっかく釣った魚を、川に返しちまうのか?」

 村のボスは疑り深そうに聞く。

「そうです」とブレークモア。

「おまけに、釣りたければ金を払えってか?」

「そのとおり」ブレークモアが、オクラホマ訛りの日本語で言う。「一種のスポーツですからね」

 男は頭をかきむしって、ブツブツつぶやきながら立ち去った。「なーに言ってんだか、変なガイジンめ。こんなバカげた話、聞いたこともないぞ」

 ブレークモアは地元の数人に計画を話してみたが、誰からも相手にされなかった。持って帰れないとしたら、誰が魚など釣るものか、と。