「NY大物マフィアのイトコ」が北海道の養豚ビジネスで直面した「新参者排除のエグい精肉処理システム」写真はイメージです Photo:PIXTA

1954年に東京初のピザ屋「ニコラス」を創業したニコラ・ザペッティは、1980年代のバブルに浮かれる周囲から距離を置こうと、北海道の養豚ビジネスに乗り出す。ニューヨークの底辺育ちで、ワルに囲まれて生きてきたザペッティ。日本に新天地を求めてやってきた彼が北の国で見たものは、精肉処理システムを支配する巨大企業のえげつないやり口だった。※本稿は、ロバート・ホワイティング著、松井みどり訳『東京アンダーワールド』(KADOKAWA)の一部を抜粋・編集したものです。

戦後日本の裏社会でのしあがった
アメリカ人実業家が養豚に挑戦

 バブル経済はザペッティ(編集部注/ニコラ・ザペッティ。ニューヨーク出身のイタリア系アメリカ人。海軍軍曹として日本に渡り、戦後の裏社会でのしあがった)の身辺にも、大きな影響を及ぼしている。ほぼ一夜にして、家賃(編集部注/ザペッティは、1954年に六本木でイタリアンレストラン「ニコラス」をオープン。皇太子時代の上皇陛下や力道山など多数の著名人に愛される大人気店に育て、複数のレストランを展開するようになった)は倍になり、肉や野菜、ホットタオルなど、定期的に購入している必需品の値段も急騰した。

 かといって、料理の値段を上げるわけにもいかない。常連の多くは、ドル収入で生活している外国人だ。しかもドルの価値はどんどん落ちている。

 値段を上げる代わりに、酪農に挑戦してみることにした。その結果、この国の水面下でじつはどんなことがおこなわれているかを、ザペッティは思い知らされることになる。

 北海道の土地で、養豚をはじめることにした。豚を育てて市場に出し、利益をあげるのはもちろんのこと、自分のレストランで使う豚肉やソーセージを、安く手に入れることもできるだろう。

 空き家になっている近代的な納屋を手入れさせるために、ニックが雇った北海道の隣人から、養豚を勧められたのがきっかけだった。小林という隣人だが、ニックは「ファーマー・ブラウン」というあだ名で呼んでいる。だいぶ前に死んだ従兄弟の「三本指のブラウン」(編集部注/本名ガエターノ・ルッケーゾ。ニューヨークの5大ファミリーのひとつ、ルッケーゾ一家のボス。1967年脳腫瘍で死去)に、顔がそっくりなのだ。

「豚は牛よりいいですよ」

 ファーマー・ブラウンはそう言った。

「なにしろ、6カ月かそこら飼っただけで、元がしっかり取れるんですから。仔豚を買って、餌をやって、大きくなったら売る。大手の養豚業者はべらぼうな高値で取引きしてるから、格安で売ればいい。それでも儲けは出るはずです」

 なーるほど。言われてみれば、豚肉は1キロ2300円(1ポンドで約10ドル)もする。しかも、値上がりする一方だ。

 しかし、ザペッティは、踏みとどまるべきだったのだ。実際、友人たちはみな止めた。

「豚について何にも知らないくせに」