「『材』を見て、材料を連想する人はいるかもしれません。『人的資源』という言葉は戦時中から使われていたようですが、人を兵力=モノとして扱うニュアンスを、『材』に見て取ることも、あり得る話です」

「そのため『人材』の二文字から、『人間とは材料・材木なのか』と疑問に思う経営者がいたのかもしれません。どこか気がとがめるところがあるから、字面を変えたのではないでしょうか。いわば、『豆富』と同じような流れで生まれたのだろう、と思っています」

「人財」は経営者本位の
うさんくさい言葉か

 しかし、使い手の思いとは裏腹に、「人財」には批判もつきまといます。

 まず「経営者本位で使われているのでは」という評価について、飯間さんは、こう語りました。

「『人財』を考え出した人は、そこまでの悪意は持っていなかったかもしれません。元々は、縁起を担ぎたいという程度の話。経営上の怠慢をごまかしたり、都合の悪い事実を隠したりする意図はなかったと思います」

 その上で「どこかうさんくさい」といった違和感は、「親父ギャグ」への拒否反応に通ずると指摘します。

「例えば、経済界の重鎮たちが新年に集まる、賀詞交換会というのがありますね。そこで企業の社長さんが、報道陣に『今年はどんな一年になりますか』と問われて、ダジャレのような回答をする場面を見たことはないでしょうか」

「他の人と同じコメントでは、印象に残らない。だから新しい単語をつくって気を引こうと思うのでしょう。経営を論じる人物の中には、言葉をもてあそぶこと、つまり『親父ギャグ』を好む人が多い気がします。『人財』も、こうした点に由来するのかもしれません」

 飯間さんの見解を聞き、ハッとしました。新語を発案し、情報の強度を高めようと試みる態度は、メディア業界でもよくみられるからです。「さとり世代」「ロストジェネレーション」など、世相を端的に表そうとする言葉は、ごまんとあります。

 メディア起源の言葉の行く末は様々です。世紀を越えて使われ続ける単語や、全く不発だった語句が混在し、数え上げようとすれば限りがありません。そしていずれも、他者へのアピールを意図して発せられた点が共通しています。一人得心していると、飯間さんが笑顔で語りました。