菅義偉「官邸の決断」Photo:Yuichi Yamazaki/gettyimages

菅義偉氏が次期衆議院選挙に出馬せず、政界を引退することを表明した。安倍政権の官房長官として約8年、自身も首相として約1年国家の運営に携わり、官邸の中枢での決断を担ってきた菅氏が考える「リーダーの資質」とは何か。昨年12月に発売した『菅義偉 官邸の決断』から、その一部を抜粋して公開する。菅氏は、官僚の“抵抗”を時に押し戻すなど、強いリーダーシップを発揮した政治家としても知られている。なぜ、菅氏は官僚へ“厳しい態度”を取り続けたのか。その背景には、『君主論』で知られるマキャベリの「愛されるよりも恐れられよ」という考えがあった。

※この記事は『菅義偉 官邸の決断』(菅義偉・ダイヤモンド社)から一部を抜粋・再編集したものです。

実行力を担保する
「国民との約束」

 私のモットーは「国民にとっての当たり前を実現する」。やった方がいいことは誰もが分かっているのに、利害関係の調整や官僚、業界の抵抗、選挙前だから影響があるなどの理由から、手を付けられずにきた課題は常に山積しています。そうした課題を先送りせず、手を付けられるものは全てやる。人の話はよく聞きますが、「やる」と決めたら実行するのは、それが国民との約束だからです。

(新型コロナウイルス感染拡大対策の)ワクチン接種も、国民からすれば注射の打ち手は医師でも救急救命士でも、技術を身に付けている人であれば構わないでしょう。かかりつけのクリニックで接種を受けたい人もいれば、仕事があるので会社で接種できれば助かるという人もいたでしょう。だからこそ職域接種として企業や大学などでの接種も可能にしました。

 また大規模接種センターも東京の場合は大手町に設け、出勤などのついでに接種を受けられる態勢を整えました。前例に従えば「そんなことをしていいのか」「できるわけがない」と考えてしまいがちですが、国民からすれば「むしろなぜできないのか」という話になります。

 政策を決断・実行する上では、省庁の縦割りや前例、あるいは各業界の固定観念にとらわれることなく、国民にとっての当たり前は何かを考えることが重要です。

 個々の官僚は皆、とても優秀ですが、具体的な政策を進める場面になると、いわゆる「省益」にとらわれ、「縦割り行政」の壁に阻まれて政策の実行が円滑に進まないケースが多々あります。明らかに国民のニーズがあるのになかなか具体的な政策が進んでいないケースでは、往々にして、その政策が複数の役所の所掌分野にまたがるために行き詰まっている、もしくは、相当の非効率や無駄が生じていることが多いのです。

 国民にとって当たり前の政策が、「行政の縦割り」の中で機能しなくなるようでは本末転倒です。そういう実態を看破し、指導力を発揮して「縦割り」を打破して、各省が一体となって国民の利益に資する効率的な「協働関係」をつくり出すのは、政治の仕事です。

 前例や思い込みを乗り越えるために、時に官僚などに対して「本当にできないのか、もう一度考えてほしい」などと抵抗を押し戻したこともあります。このように官僚たちに「強く指示」したことから、霞が関の一部からはずいぶん恐れられていたようですが、それを避けていては、政治家は務まりません。ルネサンス期の外交官だったニッコロ・マキャベリも、『君主論』の中でリーダーのあるべき姿についてこう述べています。

〈恐れられるよりも愛されるほうがよいか、それとも逆か。……二つのうちの一つを手放さねばならないときには、愛されるよりも恐れられていたほうがはるかに安全である〉

 もちろん、わざわざ理由もなく部下たちを怖がらせる必要はありませんし、前向きに仕事をしている人には正当な評価を与えるべきですが、ここぞというときの厳しさは必要です。政治に限らず、どんな仕事であっても部下から嫌われること、恐れられることを避けたいがために及び腰になり、事態を収拾できないのだとすれば、リーダーとしての資質が問われることになるでしょう。

 リーダーは時に厳しく、「多少は恐れられても構わない」という覚悟を持ってチームをまとめ上げなければなりません。そうした覚悟が部下に伝われば、チームが機能し始めるはずです。

 そして、厳しい態度を取ることについて部下からの理解を得られるかどうか、部下が付いてきてくれるかどうかは、リーダーの常日頃からの部下との意思疎通や、責任ある振る舞いに懸かっているのです。これは政治に限らず、あらゆる組織に通じるのではないでしょうか。