もちろん、研究と物語には無視できない違いもありますが、「今の状態から破綻なく一定の方向へと議論を着実に進めていき、何らかのオチへと落とし込む」という点では違いがありません。しかも、自分でもわからないから知りたくて研究・執筆しているわけで、書くことには「予期せぬ」内容が含まれています。私はキャリアのどこかのタイミングで、この衝動を、元々の「二次創作的なストーリー作り」の形で維持することを止め、研究という別の文脈に移し替えたのでしょう。

 ともあれ、ここで確認しておきたいのは、それほど重要な衝動が、おまけグッズとレゴブロックによる物語遊びへの偏愛の中に隠れており、しかもこのことは、「ファイナルファンタジーが好き」「レゴブロックが好き」「ごっこ遊びが好き」「一人遊びが好き」などという雑な一般論からは見えてこないという事実です。逆に言えば、衝動は、偏愛について十分言語化した上で、それをあれこれ解釈することではじめて見えてくるのです。

ハヤブサにとっての
マンハッタンを探そう

 これまでの議論から読み取れることがあります。衝動は、たった1つの偏愛をもたらすと考えるべきではないということです。1つの衝動が色々な姿をとる可能性がある。物語を作ることもできれば、論文を書くこともできるというように、自分を突き動かす衝動が尊重される状況設定さえあれば、私たちは様々な環境で衝動の力を解放することができるわけですね。

 このことを、ローズとオーガス(編集部注/心理学者のトッド・ローズとオギ・オーガス)はハヤブサにぴったりの生息地が多様であることに喩えています。彼らによると、ハヤブサは「カリフォルニアの海辺の崖、中央アジアのヒンドゥークシュ山脈、オーストラリアのサザン・テーブルランド」、そして「高層ビルが立ち並ぶ」マンハッタン島などに生息しています。ハヤブサが大都会ニューヨークを好んで暮らすのは意外な話に聞こえますが、マンハッタンは、無数の獲物がいるだけでなく目立った天敵もいないため生息地としてぴったりだそうです。

 ハヤブサにとってのマンハッタンのような場所を、それぞれの衝動に従って見つけられないでしょうか。自分に合った意外な場所に気づくことができれば、もっと驚きと充実感に満ちた生活が送れるはずです。しかし、一人一人の偏愛を細かく観察し、解釈することでしか、自分のマンハッタン探しはできません。