個人のせいにしない――場づくりの大切さ

村瀬 心理的安全性の難しさは「人によって違う」ことにあります。典型的なのがリーダーですね。組織がピラミッド型の構造になればなるほど、上の立場の人間はパワー・権限があるので安心感は高まりやすい。けれどその分、現場の人たちとは乖離が生まれてしまいやすい。

篠田 チームの中でリーダーだけが安心感が高くても、それは心理的安全性としては意味がないわけですよね。あとは「あの人はタフだから心理的安全性が高い」みたいな「個人の性格」の話でもない。もっと言うと、「私はAさんに対しては心理的安全性があるけど、Bさんに対してはない」というような「個人間の信頼」とも違っている。

 そう考えると、心理的安全性って本当に勘違いされやすい概念ですね。だからこそ、「あくまでも組織学習のためのものですよ」ってことを出発点に置いて考えるのは、すごく意味があるなと思いました。

村瀬 そうですね。大切なのは「個人をどうするか」という問題設定にしないことだと思います。「私は心理的安全性づくりができているけど、あの人はできていないよね」という責任論を持ち出したり、「あのリーダーはチームの心理的安全性を高めるのが下手だ」という能力の話になってしまうとうまくいきません。

 そうではなく、必要なのは「心理的安全性が高まるような『場』をどうつくっていくか」という視点です。もちろん、個人それぞれの行動は千差万別ですが、そもそも場が情報の共有を妨げるようになっていては、心理的安全性を高めようがないですからね。

 声が大きい人が重要な情報を持っているとは限らないですし、意外とおとなしい人が価値ある気づきを持っているかもしれない。あくまでもゴールは、できるだけいろんな人の声をすくい上げて、組織として学習・成長を重ねていくこと――ここを忘れてはいけないですね。

篠田 「場」というものの大事さに関して、ちょっと思い出したエピソードがあります。私はわりと「チームの学びのために自分の考えをはっきり言える人」として周りから見られているんじゃないかと思います。自分でもある程度はそういう自覚はあるんですよ。ですが以前、会議をひたすら黙ってやり過ごしていたことがありまして…。

村瀬 意外ですね。たしかに篠田さんは、思っていることがあればちゃんと発言してくださりそうな印象があります。

篠田 じつを言うと、子どもが小学生だったころのPTAの会合なんです。持ち回りで強制的に役職が回ってくる仕組みになっていたんですが、なるべく関わりを少なくしたくて、会議のときは地蔵のようにじっとしていました(笑)。

 このときの私の態度について、「個人として適切だったか」という話ももちろんできるわけですが、心理的安全性という観点では、むしろ「場づくりがどうだったか」が問われるということなのかなと思いました。あの会議の場がもうちょっと違っていれば、私も別の行動をとっていたかもしれないし、場合によっては貢献できるテーマとかもあったかもしれないなと。

村瀬 そうですね。場がうまくつくられていれば、「PTAってなんだか面倒くさそうだし、うっかり発言すると自分の責任が出てきてしまうかも…」という心配も和らぐと思います。「いざとなれば、この人たちも一緒にやってくれるかもしれない」という感覚が生まれていれば、もっと積極的に行動できたかもしれませんね。