優秀な人ほど陥りやすい「心理的安全性のジレンマ」

村瀬 一方で、悩ましいのは「だれが場をつくるのか」ということです。もちろん、みんなでつくっていくのが理想なんですが、場づくりに対する影響力は個人によって違っているし、やっぱりリーダーがいちばん力を持っているんですよ。だからどうしても、リーダー自身が場をつくることになりがち。
ただ、リーダーというのは、もともとその組織の文化なり環境なりにすごく適応できている人であるケースが多いんですよね。これまでの組織に適応できたからこそ、リーダーというポジションに上がってきているわけです。そういう人は、組織の不十分なところに気づきづらいし、場をつくり直すことに対しても腰が重くなるんですよ。どうしても自分を否定されたような感覚になってしまいますから。

篠田 おもしろいですね! これはリーダーの立場にある人全員が、無意識のうちに陥りやすいトラップですよね。おそらくリーダーは、チームの中でいちばん「チームの成功」にコミットしている可能性が高い。だからこそ無意識のうちに、メンバーの心理的安全性をむしろ阻害しかねないと。いやー、このトラップはヤバいですね…。

村瀬 これが心理的安全性のジレンマ的な部分ですね。ですが、ここでも「リーダーが悪い」「リーダーが私の気持ちをわかろうとしないせいだ!」という個人の問題にしてしまうとなんの解決にもなりません。

篠田 「私はメンバー」「あなたはリーダー」というように、相手を抽象化して捉えた瞬間、また対立構造が生まれてしまいますよね。

村瀬 そうなんです。そもそも、リーダーの方々もまったく努力していないわけではないはずです。「チームの業績を上げようと必死でやっているけれど、みんなわかってくれない。だれも褒めてくれない」という声がよく聞こえてきます。

 人間はだれしも自分の仕事を過大評価しがちな一方、他人の仕事を小さく見積もる傾向があります。典型的なのが、パートナーとの家事の分担ですよね。「あなたは家事全体の何パーセントをやっていますか?」と夫婦に聞くと、両者の合計はたいてい100パーセントを超えるんです。要するに「自分はこれだけやっているのに、相手はこの程度しかやっていない」というバイアスが働いて、他人の仕事を過小評価するような認知の歪みが生まれてしまうんですね。

 これと同様、リーダーがいくらがんばっていても、メンバーからはそれがちゃんと評価されないことは十分にあり得ます。逆に、メンバーからすると、リーダーの「できていない部分」ばかりが目についてしまうこともあるでしょうね。

篠田 そこで「自分はがんばっている」「わかろうとしないこいつが悪い」っていう心理にはまり込まないようにしないといけませんね。

村瀬 そう思います。ですから心理的安全性って、なにかすさまじいリーダーシップによって実現していくようなものではないんです。

 お互いのがんばりが見えづらいのは大前提。だからまずは「リーダーとメンバー」ではなく「篠田さんと村瀬」という個別の関係性に立って対話する。お互いを知ろうとする努力があって初めて、「あ、こんなことやってくれていたんですね」「え、あれってそういう意味だったんですか」という気づきが生まれてくるんだと思います。

篠田 そういうことなんですね。私の中でもめちゃくちゃ理解が深まりました! エドモンドソンさんの本でも「リーダーの『聞く』姿勢が大事ですよ」ということが書かれていましたが、私はそれを「影響力あるリーダーがまず率先して『聞く』を実践して、チーム内に『聞いてもらえる』という雰囲気を醸成していきましょうね」という意味でしか理解していませんでした。

 ですが、「リーダーとしてメンバーの話を聞く」という姿勢だけだと、まだ相手を抽象化する目線が残ってしまっているなと。そういう「役割」の次元を超えて、一人のふつうの人間としてお互いに関心を持ち、話を聞こうとするスタンスが求められているんだよなあと気づかせていただきました。

後編に続く