「集団の対立」を生む人間の心理構造

篠田 ありがとうございます! 「チーム」という概念の解像度が上がりました。

 一方で、会社には「営業」のほかにも「研究・開発」「マーケ」「アフターサービス」「人事」というような部署がありますよね。そうすると、多くの人は「自分たちは運命共同体だ」と頭でわかってはいるんだけど、「自分にはよくわからないし、よその部署のことには首を突っ込まないでおこう」という意識が働いてしまうこともあるんじゃないかと思います。ある意味で「よかれと思っての配慮」がチームの邪魔をしてしまうというか…。

村瀬 そういう面はあると思いますね。ただ、ちょっと厄介なのが、人間は一定のグループに振り分けられた瞬間に、それぞれを「意味のある集団」として認識しはじめるということです。どんないい加減なグループ分けであろうと、人間の心理構造がそこに「意味」をつくってしまう。

篠田 おもしろい! たとえば、初めて会ったばかりの人たちをくじ引きで分けたとしても?

村瀬 はい、そうなんです。「こっちはA組」「あっちはB組」というふうにグループに分けた瞬間、人間は自分が属する集団をなにか特別感があるものと見なし、相手の集団とは競争関係にあると考えてしまう。さらに、お互いのことをよく理解しているわけでもないのに、相手のことを抽象化して捉えるようになります。

 会社でも「営業部の人たちって○○だよね」みたいな物言いが出てくるのはこのせいですね。自分たち以外の集団を、抽象的なイメージに基づいて見るようになってしまう。だからこそ、ふと一人ひとりに向き合ってよくよく話してみたりすると、「あれ? 篠田さんって営業の一派だと思っていたけど、じつはあんまり営業っぽくないよね」みたいな発見があったりするわけです。

 これは人間としての性質の話なので、どうしようもない部分もあります。だけど、チームというものをつくろうとしたら、こういう抽象化や偏見から生まれる対立構造を乗り越えて、相手をきっちり理解しようとする感覚をつくらないといけない。

篠田 ある種、人間の自然な心理として、「私たち 対 あの人たち」という構造が生まれてしまうというのは興味深いですね。そして、そこになんとか運命共同体としての意識を打ち立てるためには「心理的安全性」が大事になってくると。

村瀬 そのとおりです!

【対談 村瀬俊朗×篠田真貴子(前編)】優秀なリーダーほどハマる“心理的安全性のジレンマ”とは?