インターネットより大きい?
電信が与えたインパクト

 初期の電信が伝えられる情報の量は非常にかぎられていたが、送られる情報の量は増えていき、電信なしでは事業活動を遂行することが不可能になっていった。

 電信の敷設には、巨額の費用がかかった。1人の商人はもちろん、1つの会社でさえ到底調達できないほどの金額であった。さらに、海底ケーブルさえも敷設された。それを賄えるほどの機関は、国家しかなかった。情報の伝達に、国家が大きく関与することになったのである。また海底ケーブルの敷設には、帆船ではなく蒸気船が必要とされた。海底ケーブルの敷設と蒸気船の発展が同時に発生したのは、それが理由の1つであった。

 さらに、電信を利用して決済がなされた。電信の登場以前であれば、手形が振り出された都市から、それが引き受けられる都市へは何日、何十日、場合によっては100日以上の日数がかかった。だが電信は、それを一挙に縮めたのである。世界は、大きく縮まったのだ。

 1870年になると、世界のあちこちとの通信が、おおむね2~4日間でおこなえた。その電信の多くを敷設していたのはイギリスであった。イギリスは、情報、国際的な金融決済の中心となった。いわば、世界経済のシステムそのものを管理するようになった。19世紀イギリスのヘゲモニーは、この点を無視して語ることはできない。

 19世紀の電信がもったインパクトは、こんにちのインターネットよりも大きかったかもしれない。たしかにインターネットによって、情報の伝達スピードは飛躍的に増加した。けれども、人間の移動よりも情報の移動の方が速くなるという電信の方が、世界に与えた衝撃は大きかったのではないだろうか。決定的な相違点は、電信により貿易決済がおこなわれたのに対し、インターネットではそれが不可能な点にある。この差異は、じつは非常に大きい。