電鍵写真はイメージです Photo:PIXTA

産業革命を経て、かつて「世界の工場」と言われたイギリス。同国が世界で覇権を握れた背景には、電信と手数料という強力な後ろ盾があったという。国家が影響力を持つために必要なものを、イギリスの歴史から読み解いていこう。※本稿は、玉木俊明『戦争と財政の世界史: 成長の世界システムが終わるとき』(東洋経済新報社)の一部を抜粋・編集したものです。

いち早く“手数料”の価値に着目
イギリスが覇権を握るまで

 日本の歴史学界では、手数料(コミッション、commission)というものは、馴染みがないものである。また、日本の経済史研究では「生産」が重要視されてきた関係で、中間商人は経済的なベネフィットを何も生み出さない人だとみなされてきた。以前よりも生産面が重要視されなくなった現在でも、中間商人や彼らが入手する手数料に関する研究がされることはまずない。

 手数料は、目に見えない。そのため、これまでの経済史では、あまり重視されてこなかった。近代世界システムの視点からは、ヘゲモニー国家が築いたプラットフォームを使用することに対し、他国は手数料を支払うのである。

 このようなシステムをもっとも完全に近い形で体現したのは、19世紀末のイギリスであった。

 世界最初の産業革命は18世紀後半にイギリスで生じたが、19世紀末になるとイギリスの工業生産はドイツやアメリカに追いつかれ、やがて追い抜かれた。この頃にイギリスの産業の中心は、工業から金融業に替わったといわれるが、これは各国の経済の関連性を重視しておらず、支持すべき考え方だとは思えない。

 貿易収支の点では、イギリスは貿易立国ではなかった。イギリスの貿易収支が黒字であったことは18~20世紀において、ほとんどなかったのである。「世界の工場」といわれ、綿織物工業によって世界最初の工業国家になったイギリスであったが、貿易収支から判断するなら、それはイギリス経済に大きなプラスを与えてはいないのである。

 たしかにイギリスは、20世紀になると世界の工場としての地位を、ドイツやアメリカに譲ることになった。だがその一方で、イギリスは世界最大の海運国家であり、世界中の商品を輸送したばかりか、ドイツとイギリスの工業製品の少なくとも一部はイギリス船で輸出され、イギリスの保険会社ロイズで海上保険をかけたのである。

 さらにロイズは海上保険における再保険(保険会社がリスク削減のために、保険にさらに保険をかけること)の中心であり、再保険市場の利率が、海上保険の利率もある程度決定した。