現在、世界の覇権を握るアメリカ。同国の政治、軍事、経済状況の変化は、日本はもちろん世界各国に影響を及ぼす。そんな超大国はなぜヘゲモニーを獲得できたのだろうか。経済史家である玉木俊明氏が、アメリカの経済史から解説する。※本稿は、玉木俊明『戦争と財政の世界史: 成長の世界システムが終わるとき』(東洋経済新報社)の一部を抜粋・編集したものです。
ニクソンショック、中東戦争…
衰退したアメリカのヘゲモニー
1950~1973年のアメリカの経済成長率は、年平均2.2%であった。フランスは4.0%、ドイツは4.9%、イタリアは5.0%、日本は8.0%であった。先進国のなかで、アメリカの成長率が一番低かったのである。そのためアメリカの経済力は低下し、金が国外に流出することになった。そのためアメリカは金本位制を維持することが不可能になっていったのである。
世界経済に占めるアメリカのGDP(当時はGNP)の比率は、第2次世界大戦終了直後には50%近かったとされるが、2014年には22.5%ほどになった。しかし、なおも世界最大の経済大国である。
アメリカ時間で1971年8月15日、アメリカ合衆国大統領ニクソンが、それまでの固定比率によるドル紙幣と金の兌換を一時停止すると発表した。これは、ニクソンショックと呼ばれるほどの衝撃を世界に与えた。こんにちの感覚からは不思議としかいいようがないが、固定相場制は未来永劫に続くとさえ思われていたようである。
金と交換できる通貨はドルしかなかった。だが、アメリカはドルの金交換に応じられないほど金保有量が減っていた。それはアメリカ経済の弱体化を示すとともに、通貨体制の大きな変革が必要であることを意味しただけではなく、戦後世界を形成したIMF体制の終焉でもあった。
1971年のニクソンショックで、固定相場制が終わったわけではない。同年12月スミソニアン合意が結ばれ、ドルの切り下げという形で固定相場制が継続された。けれどもそれは長続きせず、1973年には完全に変動相場制に移行した。
それに加えて、アメリカの多国籍企業の力も衰退していった。アメリカの支配力の低下は、何よりも石油価格にあらわれた。世界最大の石油産出地域は、いうまでもなく中東である。第二次世界大戦後、中東の石油の価格決定権を握っていたのは、アメリカを中心とする「メジャー」と呼ばれる巨大な石油会社であった。その価格決定権が失われる日が来たのだ。
1973年10月6日、第4次中東戦争が勃発したことを利用して、石油輸出国機構(OPEC)加盟産油国のうちペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレルあたり約3ドルから約12ドルへと引き上げることを決定した。
このときアメリカは、石油の価格決定権を失った。これはアメリカの多国籍企業の敗北であり、アメリカのヘゲモニーの衰退を意味した。