この程度で調子に乗っちゃいけない──。大きな成果を出しても、自分の実力だと思えない。安心できない。優秀なのに自己評価が過剰に低い人たちには、ある共通点があるそうだ。
42歳でパーキンソン病におかされた精神科医のエッセイが、韓国でロングセラーになっている。『もし私が人生をやり直せたら』という本だ。「自分をもっと褒めてあげようと思った」「人生に疲れ、温かいアドバイスが欲しいときに読みたい」「限られた時間を、もっと大切にしたい」と共感・絶賛の声が相次いでいるそうだ。
男女問わず、多くの人から共感・絶賛を集める著者の考え方とは、いったいどのようなものなのか?  本書から、エッセンスをピックアップして紹介する本連載。今回のテーマは、「優秀なのに自分を認められない人が、プレッシャーから解放される方法」だ。(文/川代紗生、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

もし私が人生をやり直せたらPhoto: Adobe Stock

「この程度で調子に乗るな」と言われ続けた人の末路

「このくらいで、調子に乗るなよ。浮かれているヒマはない。次の作戦を立てるんだ」

 上司からその言葉をかけられたのは、数ヶ月かけて取り組んでいたプロジェクトが成功し、目標としていた数字もクリアできた直後のことだった。

 きっと、一度目標達成できたことで気が緩んでしまうことを懸念し、釘をさしてくれたのだろう。

 たしかにそのころの私は社会人経験も浅く、1つの目標に全力投球しすぎて、その後、力尽きてしまうということがよくあった。上司のおかげで緊張感を持って働けていたのはよかったと、今になって思う。

 しかし、一方、そのころの働き方の影響か、いつの間にか、「こんなの大したことない」と自分を否定することが、習慣化してしまっていた。

 過去最高の数字を達成しても、いや、たまたま運がよかっただけだと、すぐに否定する。自分の実力だと受け入れられない。

 ストイックでいいじゃないか、と言われることもあったが、とはいえ問題なのは、仕事がまったくもって楽しくないことだった。

 いつも背筋がひんやりとし、緊張していて、ちょっとでもミスをしたら誰かに怒られるんじゃないかと、不安で不安でしょうがない日が続いた。

「ミスへの恐怖が強すぎる人」がプレッシャーから解放されるためには?

 あなたには、似たような経験はあるだろうか。

 本稿では、「小さなミスも許せない人」の特徴と、そういう人たちが、どうすればプレッシャーから解放されることができるのか、紐解いてみたいと思う。

 紹介したいのは、42歳でパーキンソン病におかされた韓国の精神科医、キム・へナムさんという女性の考え方だ。

 彼女は著書のなかで、「どんなに準備しても、『完璧な時』は決して来ない」と言い、16歳でスカッシュの国内最年少チャンピオンになったイスラエルの少年・シャハーのエピソードを取り上げている。

 この話を紹介しよう。

 シャハーは、過剰なほどの完璧主義の持ち主だった。

 イスラエルでチャンピオンになったものの、スカッシュがイスラエルを代表するスポーツではないということから、「そんな環境での優勝など、大したことではない」と、彼は自身の結果に満足しない。

 また、海外に出て、世界一を目指して過酷な練習に励むが、無理がたたって、プロアスリートの道を断念することに。

 引退後、ハーバード大学に入るが、そこでも完璧主義の癖から抜け出せず、苦悩の日々を送ったという。

 本書には、こうある。

その結果、彼は常に最高の評価を受けているにもかかわらず、不安が拭えず、勉強そのものが嫌いになるのです。(中略)
長年の研究の末、シャハーが得た結果はひとつだけ。
それは「完璧への執着は、失敗を極度に恐れさせ、何としても避けようとさせる。そして、現実を自分の思い描く完全無欠の理想に当てはめることで、さらに不安が増し、人生が疲弊していく」ということでした。(P.24-25)

病気になって一番後悔したこと

 著者も、パーキンソン病にかかってから、「もっとこうしておけば」と後悔したことがあったそうだ。

 その中でも、大きかったのは、「人生をあまりにも『宿題をこなすよう』に過ごしてきたこと」だ、と彼女は語っている。

医師として、母親として、妻として、嫁として、娘として生きながら、いつも義務と責任を負い、どうにかしてすべての役割を完璧にこなそうと苦労してきました。私がいなければ回らないという思い込みの中で、必死に前だけを見て走ってきたのです。(中略)
何事も完璧にやり遂げようとする欲望を手放し、放りっぱなしだった自分自身を大切にしながら生きようと決心したのです。(P.6-7)

「自己肯定感が低すぎる人」に必要な1つの思考法

 自分のダメなところばかりが大きく見え、いいところは「こんなの、大したことない」と目をつぶる。

 私の頭の中でも、今もずっと、「調子に乗るな」という上司の言葉がリフレインされており、自分の成功を喜ぼうとした瞬間にすぐ、罪悪感に襲われる。「このくらいで喜んじゃいけない」と自分を戒めたくなる。

 そんな自己肯定感の低さと戦うための1つの方法は、「隙間を埋める楽しさ」を知ることだ、と彼女は語っている。

私の人生は、いつでも隙間だらけで、その瞬間を埋める楽しさで生きてきたし、これからもそうするつもりです。私は行きたいところに行きます。たとえ準備不足だって構いません。歩みながら埋めていけばいいのだし、そのすべての瞬間が、決定的瞬間なのですから。(P.29)

 この言葉を読んだとき、私は、「完璧主義をやめること=怠けること」ではないんだ、と気づかされた。

 1つの結果に満足せず、よりよい成果を求める。そうやって完璧を追い求める姿勢こそが正義で、そのスタンスをやめるということは、つまり、自分に怠けることを許すことにつながるのではないか、とそう考えていた。

 しかしたとえば、自分に足りないスキルを磨こうと勉強すること。自分よりも仕事ができる先輩に、教えを乞うこと。そうやって、理想と現実の「隙間」を埋める作業を、楽しんでもいいのだ。楽しむことに、罪悪感を抱く必要はないのだ。

「足りていない現状」に目を向けるのではなく、「近づいてくる未来」のほうに、目を向ける。

 幼いころに厳しい家庭で育ち、なんでも完璧にこなさないと許してもらえなかった。

「調子に乗るな」と怒られ続け、人の顔色をうかがうのが癖になってしまった。

 さまざまな理由で、完璧な自分でないと許せない、という人がいるだろう。そんな人にこそ、著者の言葉を知ってほしいと思う。

 ああ、自分を許してもいいんだと、そう思える言葉がきっと見つかるはずだ。