笑いの現場からアニメの世界へ
コント作家たちの新たな活路

 コント番組が冬の時代を迎えた今、清水氏をはじめとするコント作家たちは、笑いの現場から別のフィールドへ軸足を移し、活動を展開している。例えば、「バナナマン」や「東京03」と二人三脚でコントづくりを行ってきた放送作家のオークラ氏。今はバラエティー番組の構成と平行し、ドラマ脚本で“作り込んだ笑い”を表現している。

「松本人志の才能が鳴り響いていた」「ウッチャンは映画オタクだから…」放送作家が振り返る90年代コント番組の“最後のきらめき”いかりや長介さん Photo:JIJI

「僕が作ってきたコントは“フリとオチ”の笑いです。シリアスな緊張感でドラマを引っ張って、オチで緩和させる。例えば、ドリフのいかりや長介さんは、晩年は俳優として活躍されていました。あれはコントのフリの部分、シリアスさを表現する演技だったと思うんですよ。それと似ていて、たとえ笑いが主体ではないドラマであっても、シリアスなストーリーの中にポイントでオチを入れて1時間のドラマを構成しています。だから、ドラマの現場で仕事をするのは自然なことだと思います」と清水氏。

 実は、コント番組を担当している頃から、テレビドラマの脚本はもちろん、『サザエさん』や『ドラえもん』など人気アニメのシナリオを手掛けてきた。現在は、さらにフィールドを広げ、インドで放送されている『おぼっちゃまくん』のシナリオにも携わった。

「アニメの長さって、シチュエーションコント1本の長さと似てるんで書きやすいんですよ。でも、子どもが見るものだから、お尻を出したり、ちょっと狂ったりした要素はコンプライアンス的にダメ。あと、インド版の『おぼっちゃまくん』で言うと、火事はダメとか、その国によってもルールが違います。そういう部分に配慮がいるところが一番の違いですかね」

 このように、コント作家たちがドラマやアニメの世界で活躍する今、地上波でのコント番組は本当に消滅してしまうのだろうか。最後に、清水氏が考えるコント番組の行方について語ってもらった。

「松本人志の才能が鳴り響いていた」「ウッチャンは映画オタクだから…」放送作家が振り返る90年代コント番組の“最後のきらめき”清水東(しみず・ひがし) 脚本家、放送作家。1958年1月5日、東京都生まれ。21歳で萩本欽一の「OH!階段家族!!」のコント作家としてデビュー。以後、ザ・ドリフターズ、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンなどのコント番組を中心に活動。同時にドラマ、アニメ作品も多く、映画ドラえもんなども担当している (本人提供写真)

「今、地上波で放映しているコント番組は、ドリフが昔やった総集編が多いと思うんですが、あれは演者もスタッフも一流の人たちが集まった作品ですから。時代を経ても色褪せないんですよ。だから、この時代に新しくコント番組をやるなら、ヴィンテージギターのような嗜好品になるんじゃないですかね(笑)。もともと、マニアックな文化ですから。そんなふうに絶滅危惧種として残っていくんじゃないでしょうか」

 とうとう、絶滅危惧種となってしまったコント番組……。“時代は繰り返す”という言葉を信じ、またいつの日か、地上波でコント番組を見られる日を待ち続けたい。