子は成長の過程において
親から与えられた規範を手放す必要がある

 滋賀医科大学生母親殺害事件において、娘は母の「私の言う通りの進路を進みなさい」という規範を守り続けたのだろう。娘の進路希望は、ずっと母の望む医学部だった。そして医学部進学を諦めた後も、母が許す範囲内の進路を選んだ。彼女は常に、自分の行動や欲望について、母が許すかどうかを気にしてきた。

 しかし、彼女が母の規範を守り続けた結果、「娘による母の殺害」という悲劇が起きた。彼女は犯行の動機について、「いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかった」と、陳述書に綴っている。母の規範はそれほどまでに、娘を追い詰めていたのである。

 あるいは直接規範を提示しなくても、母は「愛さない」「否定する」といった行為によって、娘に規範を与えることができる。こちらのほうがある意味やっかいだ。なぜなら、こうして与えられる規範には実体がなく、何をした/しなかったところで、娘は母の支配から逃れられないからである。

「母に否定されて育ったため、自己肯定感が得られない。自分を価値のない存在だと思ってしまう」「『あなたの性格は社会に向いていない』と母に言われて、社会で普通に生きていくことを諦めた」「母に愛されなかったため、自分は人を愛せないと感じる」――このように、社会人になり、親と離れて暮らすようになってからも、呪縛のような母の規範にとらわれ続ける娘は少なくない。

書影『娘が母を殺すには?』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)『娘が母を殺すには?』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)
三宅香帆 著

 では、母が娘に規範を与えること自体が、問題なのだろうか?

 そうではない、と私は考える。

 親は子に規範を与える。それは教育の過程で多かれ少なかれ必要なことだ。子どもの欲望のままにしていては、取り返しのつかない事件や事故が起こる可能性もある。親が子の欲望に適切な制限をかけたり、欲望の方向性を規定したりすることは、子どもの健全な成長にとってある程度は必要だ。

 しかし、そのように親が与えた規範を、成長の過程で子が手放すこともまた、重要な行為なのである。