正しさを盾に怒りをぶちまける人ほど厄介なものはない。こうある「べき」という押し付けがましい感情は、過去の「憎しみ」に起因している。大切なのは、こうした長年の「囚われ」から自らを解放することだ。健やかな老後を過ごすべく、壮年期から高齢期へと向かう自分の現在地を再確認しよう。本稿は、加藤諦三『他人と比較しないだけで幸せになれる 定年後をどう生きるか』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
高齢者にとって重要なのは
物の生産性ではなく心の生産性だ
成熟が人間性の新たな強さと深さに到達する
――フーベルトゥス・テレンバッハ
長年の思い込みや、囚われから解放されていくのが、高齢になったときの生産性である。
高齢者の生産性とは、現実の世界での物の生産性ではない。心の世界での生産性である。
感情の囚われから解放されて新しい世界に生きる準備をし、そして人格の再構成をし、新しい世界で生き始めることである。
高齢者の生産性を考える上で前提にすべきは、「感情は囚われに基づいている」というエレン・ランガー教授(編集部注/米ハーバード大で教鞭。専門は心理学)の主張である。
次に反省するべきは、体験ではない。その体験をしたときの、社会的枠組みである。
高齢者は記憶力が弱まるということを言うけれど、興味のないものは忘れるが、興味のあるものは忘れない。
高齢期を考えるときに、自分を見る視点が、体力の衰えなど肉体的なことに偏りすぎている。物質的な、生物的なことに偏りすぎる。
肉体的なこと以外にも、面白いことはたくさんある。
重要なのは物の生産性ではなく、心の生産性である。
人間の心の力を信じなさい。
若い頃の成功と、高齢者の成功とは違う。
歳をとることの意味、内容の違いが大事である。
多くの高齢者にとって、認知のシステムは若い頃と同じように機能し続ける。
健康な高齢者は、新しい認知のスキルを学ぶことができる。
認知が高齢になるということは、古い機能を維持するだけでなく、新しく学ぶことも可能である。
パーソナリティーの積極的変化も起きる。内在性、非支配性、感情的統合性である。
対象への憎しみと、意識と無意識の統合化の過程の苦しみが「救済と解放」につながる。
劣等感に苦しんで、優越感に走るのは、愛のない意志である。
そうした苦しみは「救済と解放」につながらない。逆にノイローゼになる。
若い頃にパーソナリティーは矛盾を含んでいた。感情的に矛盾していた。
高齢になって若い頃からの隠された怒りに気がついてくる。人は、そのときの「怒りと孤独」の処理で人生を間違えることが多い。