しかし、仕事に関してのパフォーマンスは優れていることもある。
タイピングにおいて、高齢者の中に若い人よりも優れた能力を発揮する人もいる。
テクストを先に読んで、タイプの遅さを補っている。
心理的に未解決な問題にこそ
目を向けよう
高齢者の得るものは知恵と威厳。
高齢期になっても、現役時代と発想が同じ人がいるが、高齢者は競争社会に生きているのではない。
お金を稼いでも、生産性があると言えない。
高齢者の生産性とは、パーソナリティーの生産性である。
フロム(編集部注/エーリヒ・フロム。ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者)の言う、生産的心構えである。
高齢になってから、非生産的心構えから生産的心構えになる。
若い頃からの生産性は変わる。壮年期、高齢期には、生産性は社会的意味が大きな割合を占める。
人生の諸問題を解決するのは社会的なことが多い。また社会的なことを解決しなければ、現実には生きていけない。
しかし高齢になってからは、解決は社会的解決よりも心理的解決が大きな位置を占める。
離婚は社会的解決である。
しかし離婚しても相手を恨んでいれば、心理的には解決していない。
生きていればいろいろなもめ事がある。そのときに裁判になることもある。
そして判決が出る。
判決が出れば、それは社会的解決である。しかしその判決を受けいれても、判決に不満であれば、社会的に解決しても心理的には解決していない。
離婚調停で、調停が成立したとする。しかし調停に納得がいかない。調停委員があまりにも不公平で、偏見が酷すぎると思っている。
そういうときには、社会的に解決していても心理的には未解決である。
青年期、壮年期の生産性は社会的意味が大きい。そして人生の諸問題を社会的に解決することは生産性である。
しかし高齢になったときの生産性とは、主として心理的な意味である。
そう理解しなければ、高齢期は非生産的な時代になる。
何か仕事を断られた。そのときにどれだけ落ち込むかで、自分の心の囚われがわかる。