高齢になるにつれ「何で思うようにならない!?」とイライラすることが多くなる。そんな心理の根本にあるのは、無意識のうちにフタをしてきた過去のトラウマだ。自分でもコントロールしがたい苛立ちから脱却するため、過去をさかのぼって自分の人間関係を見つめ直そう。本稿は、加藤諦三『他人と比較しないだけで幸せになれる 定年後をどう生きるか』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
過去を納得して許すことで
高齢期の生産性が向上する
高齢者の生産性とは、その自らの心の底を見つめて、納得することである。
「あの離婚調停のときの、調停委員のあの冷酷なまでの偏見は、何だったのか。あの調停委員としての中立性を無視した偏見は、調停委員の嫉妬、妬みの激しさだったのか」
そう思ってくると、どこかで納得することが出てくる。
「あれは調停ではない。あの調停委員は、相手方の弁護士以上に相手の味方をした。でもそれでよかった、離婚をして、短い自分の人生を無駄にすることが避けられた」
あの調停委員という仮面を被ったサディストのことも、「あれはあれでよかった」と、過去のことを一つ一つ納得して、心理的に解決がついていく。それが高齢者の生産性の向上である。
過去のさまざまな問題は、心理的に解決できない限り、どんなに社会的に解決しても、過去の呪縛からは抜けられない。
憂鬱というメランコリーの諸現象も、「不可避的に課せられた課題の不成功を示している」とテレンバッハ(編集部注/フーベルトゥス・テレンバッハ。ドイツの精神医学者)は言う。そのとおりである。
例えば、「ああ、本当にあの人は酷い人だった、殴り殺しても気が治まらない、しかしそれが自分の人生なのだ、それが自分の運命なのだ。若い頃読んだニーチェの、自らの運命を愛するということはこういうことだったのか」、そう納得して、暗い過去の霧を、追いはらう。
思い出せば切りがない。
苛められた日のこと、親族からの屈辱の体験、近い人から軽く扱われた日の屈辱等々、数えていけば切りがないほどたくさんの忘れられないことがある。
本人すらも認識していない
イライラの正体とは
それらのことは壮年期の、社会の中で苦戦苦闘していたエネルギッシュな時期には、忘れているかもしれない。
しかし無意識の領域には今でも残っている。そして高齢になって、その無意識の領域に残っている記憶が、よみがえってくる。
その対処を間違えると、今の老化の失敗となって表現されてくる。
そして朝から理由もなくイライラする。周囲の人には、その高齢者のイライラは理解できない。