自分の人生はもっと幸せなはずだったのに、と嘆く老人は多い。また「老いても幼稚な人」が多いのも事実。人生の見方を変え、老いを輝かせて幸福を引き寄せるにはどうしたらいいのか? 高名な心理学者が、成熟するための心構えを説く。本稿は、加藤諦三『「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・編集したものです。
人からの言葉に傷つくのは
自分の心の問題
小さい頃から怒りが抑圧されている。
そしてその抑圧された怒りは対象から分離されて拡大し、夢の中に現れることもある。夢の中には、人を殺したり、自分が天才になったり、他人を屈辱で精神的にまいらせる等々いろいろな事柄が現れる。対象からの乖離により、敵意は次第に強化される。
なんとなく、漠然とした敵意を世の中の人々に持っている人がいる。敵意とまではいかないが漠然とした不満を持っている人もいる。
「表現されないままに慢性化した敵意」はたどっていけば、幼児期の基本的不安感(自分が敵意に満ちた外界に囲まれているという孤独・不安感)にたどり着く。どうしてもそこに行き着く。
実は親子関係で傷つきつつ不安感を持ちながらも、意識の上では仲の良い家族という場合がある。いつも怒っている人の中には仲の良い家族という幻想の中で生きてきた人たちもいる。
無意識では傷つき孤立し不安でありながら、意識の上では仲の良い仲間という幻想で生きてきた。
子どもの頃に扁桃核にいろいろな苦しい体験が詰め込まれる。
(※編集部注:扁桃核とは、ヒトの快・不快や恐怖といった情動(感情)を決定する役割をもつ脳の神経細胞の集まりのこと)
それが大人になってから、あることをきっかけにしてそれに火がつく。その屈辱と怒りが再体験される。だからすぐに怒り、いつまでも感情が不安定なのである。
もちろん幼児期ばかりではない。その後の人生でも辛いことはある。その辛いことがその人の神経回路に焼きついている。
だから人は急に本当に幸福になるなどということもないし、急に強くなるなどということもない。
辛い幼児期があって、辛い少年期があって、大人になってから脳の扁桃核は過剰に敏感になっている。
だから昼に何か些細なことがあると、それが扁桃核を過度に刺激して夜になっても寝つけないのである。
何かが引き金となって幼児期の辛い記憶がよみがえり、今のなんでもない事件を自分の中でもの凄い事件にしてしまう。たいした失礼でもないのに「許せない人」にしてしまう。
そして緊張し、食欲を失い、眠れない夜を過ごす。翌日はぼーっとしている。何もできないまま憔悴のうちに時は過ぎていく。