頭でわかっているのだけれども、気持ちがついていかない。それが無意識の必要性である。
人は、どうしても素直になれないのか?それは退行への固着である。
何が成長をためらわせるのか?
人にとって成長することが、なぜそれほどまでに難しいのか?
満たされない欠乏欲求が、固着や退行へと導く力である。安全や安定の魅力である。
「安全と成長」の矛盾は、人間の宿命である。
無気力になると次のような議論になる。過去のことなど、仕方のないことにいつまでもこだわる。人のことを責めていても自分の人生がどうなるというものでもない。それにもかかわらずいつまでも他人のことを責めて、自分の人生を実際に改善しようとしない人が多い。
高齢になれば、「なんでこんなことも、してくれないのだ」と不満になることが多い。「してくれたっていいだろう」と怒りを感じる。
高齢になって体力が落ちてきたときの、日常生活の何でもないことが億劫になる。そのことを周囲の人は誰も理解してくれない。
人があることに執着するのは、人生に建設的な関心を失っている証拠である。
高齢になれば、困難にぶつかったときに、それを改善する気持ちにはならない人が多い。
それはそれだけ辛い人生を生きてきて、もう疲れているからだろう。
加藤諦三 著
もちろん、高齢になっても、前向きの姿勢を崩さない人はいる。
しかし前向きになれない人には、前向きになれない理由がきちんとある。
逆に、困難にぶつかったときに、いついかなるときにも自分に援助の手をさしのべてくれる信頼に足る人物が常に存在するという、無意識に近い確信を持っている人がいる。
愛着人物の有効性を確信して成長した人は、可愛がられて育った犬のようなものである。しっかりと周囲の世界を信頼して眠っている。
周囲の世界を信頼していなければ、臆病、警戒心、不信感を持つ。これが恥ずかしがり屋の人の心理である。