挑戦し続けたエンジニア
北海道釧路市生まれの松橋正明さんは、機械工学を学ぶために地元の高等専門学校に入学した。卒業研究のテーマは、パソコンの中に加工対象物の立体図を表示させ、その情報を反映させてマシニングセンター(自動工具交換機能をもった工作機械)を動かすというものだった。まだ、CAD(コンピューター上で設計や製図を行うツール)が普及する前の時代だったが、ほぼ同じ発想のものに取り組んだ。1年間、毎日、研究室でプログラミングをする生活だった。
松橋さんは高専卒業後、日本電気エンジニアリング(現NECプラットフォームズ)に入社した。入社2年目の時、特殊な素材で回転部品を削減する設計を行った。画期的な発想だったが、量産開始後、一定の確率で機械が摩耗してしまうことが判明し、金型数千万円分がパーになった。でも、へこたれなかった。
ある時、セブン-イレブンが新たにATM事業を行うという話が聞こえてきた。NECグループもセブン-イレブンにATMを提案することになり、プロジェクト参加に志願した。松橋さんは、当時使われていたATMを機能単位にすべてバラして分析した。コンビニ内の小さいスペースにATMを実装するために、かなりの機能を削った。一方で、ATMの操作時に後ろの客から見られるのは気になるだろうからと、バックミラーとのぞき見防止のフィルターを付けた。さらに、将来的に海外カードを受け付けられるよう、国際基準を見据えたテンキーをつけて再構成した。
コンペティションの結果、NECのATM案が採用された。その後、セブン-イレブンから「誰か詳しい人に出向してほしい」という募集があった。松橋さんは「自分以外いない」と思い、手を挙げた。松橋さんは、2001年のアイワイバンク銀行(現セブン銀行)創業の前段階から、ATM作りを担うことになった。