クリスピー・クリーム・ドーナツは、2000年代に一大ブームを巻き起こした後、2010年代半ばに反動から苦境に陥った。そこで社長に就任した若月貴子社長の指揮のもと、経営を大幅に見直し、2017年8月から30か月連続で売上高前年超えを達成、見事なV字回復を成し遂げ、その後も成長を続けている。どんな経営が行われているのだろうか? それを詳述しているのが、コンサルタントとして売上数百億~1千億円規模の企業の業績向上と組織変革を実現してきたノウハウを、知識創造理論の世界的権威である野中郁次郎・一橋大学名誉教授の監修を踏まえてその知見を学術的な観点も踏まえて著書にまとめた経営者・高橋勇人氏の『暗黙知が伝わる 動画経営 生産性を飛躍させるマネジメント・バイ・ムービー』だ。今回は、同書から特別に抜粋。クリスピー・クリーム・ドーナツの動画を活用した経営の秘密を紹介する。

ドーナツのイメージPhoto: Adobe Stock

おいしいラテを作るポイントを動画に

 短尺動画システムにはお手本動画と、それをまねて自分がやったときの動画を比較し、お手本に近づくにはどうすればいいか、イメージトレーニングを行える機能が備わっている。

 また、自分の動作を撮影した動画に対し、上司や熟練スタッフからのレビューがもらえるフィードバック機能も備わっている。

 その実際をクリスピー・クリーム・ドーナツの例で見ていこう。

 同社はテイクアウト客にターゲットを絞った「さばく接客」から脱却し、店内でも飲食してくれるロイヤルカスタマーの育成に取り組んだ。

 イートイン客を増やすには、主力のドーナツだけでなく、ドリンク類の充実化が大きなカギを握る。そこで力を入れたのがラテだった。

 同社のラテはエスプレッソにスチームミルクをたっぷり注ぎ、滑らかなフォームミルクをトッピングして提供する。その作り方を動画にした。

ラテ作りの間違いがちな3ポイントを発見

 まず、最初のステップとして手本となる動画を本部が配信する。そしてそれを参考に実践した動画を各スタッフに投稿してもらう。

 何百本も集まった動画を本部で分析したところ、一連の動作の中で犯しがちな間違いが3つほどあることが判明した。

 ひとつは、エスプレッソマシンに装備されているミルクスチーマーの空ぶかしを忘れてしまうことだ。スチーマー内には前回のミルクや水分が残っていることがある。空ぶかしをしてそれを排出しなければ、余計な水分が注入されることになり、ラテの味が変わってしまうのだ。

 二つ目は、フォームミルクをつくった後、ミルクスチーマーを布で拭くことを忘れてしまうことだ。そうすると付着した汚れが取れなくなってしまう。

 最後のよくあるミスは、挽いたコーヒー豆の粉をエスプレッソマシン内のホルダーに詰める際に発生する。マシンにセットするときはタンパーと呼ばれる器具を使ってコーヒー粉の表面が平らになるように押し固めるのだが、初心者の場合、その押し固めが不十分になりがちなのだ。

 そうすると、湯が通過する際にコーヒーのうまみ成分が十分に抽出されず、おいしいエスプレッソができあがらない。場合によっては、コーヒーの粉がカップ内に混入してしまうこともある。これではお客様に出せない。

3ステップで質とスピードが向上

 この3つのミスを説明し、それを防ぐ模範的なやり方を示す動画を本部で作り、配信した。これが2番目のステップだ。

 そして、第3ステップとして、「いままで学んだことを生かし、お客様をお待たせしないよう、注文を受けてから1分以内に、決められた手順でおいしいラテを作ってください。その動画を撮影し、投稿してください」という課題を出した。

 投稿された動画に対して上位者がレビューを行い、合否の評価と改善点を指摘するコメントを返す。そして、場合によっては再度、改善後の動画を投稿してもらう。

 あるべきやり方を学ぶ。よくある間違いを改善する。時間内でそれが確実にできるようにする。この3ステップを踏んでもらうことで、クリスピーの店内で供されるラテの質と提供スピードを各段に向上させることができたのである。

クリスピー・クリーム・ドーナツと知識創造理論

 クリスピー・クリーム・ドーナツでSECIモデルがどのように回っているのかを見てみよう。

 野中郁次郎・一橋大学名誉教授が発案したSECIモデルは、暗黙知と形式知が組織内で相互変換しながら集合知に発展していく知識創造のプロセスを、次の4つのフェーズで説明する。

(1)共同化(Socialization):個人が他者と直接対面することによって生じる、お互いに対する共感や、環境との相互作用を通じて暗黙知を獲得する。お互いがそれぞれの暗黙知を共有する。

(2)表出化(Externalization):個々人の暗黙知を、対話や思索、メタファー(比喩)の活用によって明らかにし、コンセプト(概念)や図像、仮説などを生成する。個人の暗黙知を集団レベルの形式知へと変換する。

(3)連結化(Combination):集団レベルの形式知を複数組み合わせ、物語や理論に体系化する。集団レベルの形式知を組織レベルにまで高める。

(4)内面化(Internalization):組織レベルの形式知を各自が実践し、新たな価値を生み出すとともに、その実践を通じて新たな暗黙知を獲得する。個人、集団あるいは組織レベルで、新たな知を獲得する。形式知から暗黙知が生まれる。

クリスピー社のSECIモデル

 たとえば、ドーナツのあぶり方を紹介した動画がある。バーナーの炎をドーナツの表面に何秒ほど当て、何回ほど回転させれば、おいしそうなキツネ色の焦げ目がつくのか、スタッフが見て練習する。これは暗黙知の形式知化という意味で、表出化の動画といえる。

 一方、そのあぶり具合の動画を撮影、投稿してもらい、各自がお手本動画と比較して確認する。また、その動画に対し、褒めるにせよ、改善を促すにせよ、本部が何らかのコメントを出す。これが繰り返されると、全店におけるドーナツのあぶり方がレベルアップするというわけだ。

 ここでは、表出化された形式知が、手本との比較、あるいは本部のコメントにより、別の形式知に変換されている。つまり、連結化が行われていることを意味している。

 さらに、同社では顧客単価を向上させる取り組みに関し、動画の投稿による社内コンテストが実施されている。自分なりの単価アップの工夫を全社で共有し、ナンバーワンを決める。

 そしてナンバーワンになった社員のコツを今度は、別の社員が実践してみる。これは表出化、連結化、そして内面化のフェーズの連関であり、各自の暗黙知が組織の形式知に変換され、さらにそれが再び各自の新たな暗黙知へとつながることになる。すなわち、SECIモデルが1回転していることになる。

動画で組織の行動変容を促すことができる

 最初の共同化はSECIモデルにおいて最も重要なプロセスであり、全体の起点でもある。このプロセスでは、ペアや車座による対話によって暗黙知を交換することで、新たな暗黙知が生まれることが想定されている。よって、事前に録画された動画による共同化は簡単ではない。

 しかし、動画の内容を咀嚼し反芻することで、生身の人間と対話をしているときのように、新しい知識の結び付きや洞察が促される可能性はあるのではないか。

 さらに急速に進歩しているChatGPTのようなAIが介入すれば、発言の内容に基づいて質問を生成したり、話を要約して新しい視点を投げ掛けたりすることができる。AIが持つ広範な知識により、場合によっては人間同士の交流を超える創発が起きることも期待できるのだ。

 このクリスピー・クリーム・ドーナツにおける動画の使われ方について、早稲田大学大学院経営管理研究科教授の入山章栄氏はこう語る。

「非常にわかりやすい短尺動画の活用例で、SECIモデルがきれいに回っています。『経営は実行』という言葉があるように、良いことをいくら議論していても意味がありません。

 経営の成否は、最終的には一人ひとりの従業員の行動にかかっているんです。短尺動画をこのように使うことで、従業員の行動変容を促し、経営が『正しい』とお墨付きを与えた最適な行動に彼らを紐づかせることができるわけです」

*この記事は、『暗黙知が伝わる 動画経営――生産性を飛躍させるマネジメント・バイ・ムービー』(ダイヤモンド社刊)を再編集したものです。