山川さんの優しいながらも大きな声がロビーに響く。前に聞いた話だが、第一声が大事なんだそうだ。相手が大声ならば、こちらもそれ以上の声量で立ち向かうと、相手の態度が変わるらしい。カンガルーは縄張り争いで、相手よりも自分を大きく見せて威嚇する習性があるという。あの、ボクシングポーズで胸を張るしぐさがそれらしい。山川さんは、そこから学んだそうだ。

怒りが収まらない老人の
あきれた要求とは

 いつもだったら、しばらくすると山川さんが一仕事を終えた表情で帰ってくる。だが、この日はそうではなかった。山川さんはお手上げだと言わんばかりのポーズで戻ってきた。

「課長、すいません。ダメです。お客さんはA応接室にいます。どんどん興奮してしまい、もう手がつけられません」

「何を怒ってるんだい?」

「新紙幣です。1万6000円を、新紙幣の1万円、5000円、1000円の一枚ずつに両替しろと言うんです」

「はあ、そりゃあ無理だ。だって今日は6月28日なんだぜ。新紙幣の発行は来週からだって分からないのかな?」

「何度も説明してます。でも、こちらの言うことを何にも聞かないんですよ!」

 百戦錬磨の山川さんが、ここまで手こずるのは珍しい。よほど聞く耳を持たないご老人なのだろう。とにもかくにも、私にお鉢が回ってきた。名刺入れの中を覗きこみ、自分の名刺の枚数を確かめて、上着を羽織って出陣した。

「失礼します。私、預金担当課の課長の目黒と申します。今日はご来店ありがとうございます。お困りごとがあると伺いまして…」

「ああ、困ったねえ。本当に困ったもんだよ!わしはこの銀行の株主だぞ?」

「それはそれは、いつも応援していただきまして、ありがとうございます」

「その株主に向かってなんたる無礼なことじゃ!」

「あ、あのう…新紙幣への両替と聞きましたが…」

「そうじゃ。早く出せ!」

「正直に申しますが、新紙幣は7月3日から…」

「それは何度も聞いたわ。もう銀行に届いていることは分かってるんだぞ」