シンプルに経験則から言うと、これから関係を持とうとしていること、あるいはすでに関係を持ったことをパートナーに話せないと感じたら、それはもう浮気である。

 しかし、浮気をする人の実に90%が自分の境遇のせいにして正当化する。肉体的浮気であれ感情的浮気であれ、あるいは両方の組み合わせであれ。当然だろう。人を裏切り、冷酷に傷つける人間として自分を認識するよりも、自分がしたことを道徳的に受け入れられる行為だと見なす方が楽だ。

ほとんどの人が何らかの形で
浮気を経験している

 一般に認められた浮気の定義というものは存在しない。何を浮気(不貞行為)と呼ぶかはむしろパートナーと一緒に決めることだ。一方がある行為をまったく問題ないと見なし、もう一方が同じ行為を浮気と分類するような場合は共通する考えを見出さなければならない。したがって、浮気をしたことがあるかどうかという質問に対する回答の解釈はそう簡単ではない。

 浮気の分類をさらに複雑にしているのは、そうした秘密の関係の多くが性行為自体というよりは性的な欲望にまつわるものだということだ。性的欲望とは相手から関心を持たれたり自分を特別だと思われることも含む。実際の行為やスキンシップよりも、ときめきや相手との間にある温度感が重要なのだ。

 浮気とは責任を果たさず約束を破ることだが、パートナーシップ全体の20~40%が浮気を経験している。5人に1人から2人の割合である。親や兄弟、友人を慰めなければならない場面もあるかもしれない。自分自身が相手の不倫や浮気から立ち直る必要に迫られるかもしれないし、近しい人が浮気をしていることを知りながら、そのカップルの両者と親しくしなければならないかもしれない。

 伝えるべきか、黙っているべきか考えるのはつらいことだ。同僚の配偶者を出会い系アプリで見つけてしまうのは珍しくないことだろうが、私も知人のボーイフレンドの浮気を見つけてしまったことがある。やはりジレンマに追い込まれた。要するにほとんどの人が何らかの形で浮気を経験することになる。