野菜写真はイメージです Photo:PIXTA

筆者は、兵庫県淡路島を拠点に自然農法の実践に取り組んでいる。ある日農業機械が故障し、ダメ元で隣の鉄工所に持ち込んだところ、快く修理してくれた。代金を尋ねるも、相手は「お金なんかいらない」と言う。謙遜か、はたまた遠慮か?この言葉の意味するものとは――。※本稿は、山岸 暢『ファームシャングリラ 農業で叶える人と自然が共生する未来』(幻冬舎メディアコンサルティング)の一部を抜粋・編集したものです。

間引いた小さな作物だって
「価値がない」わけじゃない

 私が自然界の面白さを知った農作業の一つに、間引きの作業があります。間引きとは、あらかじめ多くの種をまいて、新芽が発芽したら一部を抜いて適切な密度にすることです。良い苗の育成を助けることができるという昔からの農家の知恵で、白菜や大根、人参などで間引きの作業が行われます。

 私は最初、本当に間引きなんて必要なのかと疑っていました。どうせ間引くのなら最初から植えなければいいと思ったのです。第一、せっかく植えた苗を途中で引っこ抜くなんて非常にかわいそうなことです。

 だったら試してみようと大豆を3つ植え、最も強いものを残してほかを間引いてみました。そして間引いた大豆を別の場所に植えてみたのです。すると弱いものは弱いままでしたが、反対に残した大豆はどんどん大きくなっていきました。

 同じように人参で試してみても、まったく同じ現象が起きました。自分で試してみて初めて、間引きはまさに先人の知恵だと理解できたのです。

 私は間引きでの経験から、野菜が育つ過程にも競争があるのかと興味深く感じました。しかし、間引いた小さな人参は負けたのだから価値がない、というわけではありません。小さくたって人参であることには変わりなく、味もまったく同じです。顧客のなかには小さいものを欲しがっている人もいますし、マルシェでは間引きの野菜として販売しており好評を博しています。