私は相手がわざわざ仕事の手を止めてしてくれた好意に対して、お金を払うことだけで終わらせようとしたわけです。鉄工所の人は自分の労働力を使って私を助けてくれたのに、私はなんの労力も使わず、貨幣という交換の手段で片付けようとしていたのです。
私は数日後に、自分が作った野菜を持って改めてお礼に行きました。鉄工所の人は笑顔で受け取ってくれて、やっと相手の好意にこちらの真心でお返しができた気がしました。同時に、自分で生命の源をつくっているからこそきちんとお返しできるのであり、これも農業をやっていたおかげだと実感しました。
山岸 暢 著
もちろん都会に住んでいたら自分で何かをつくることは難しく、こういった出来事は地方だからこそ体験できるという側面も大きいです。そもそも分離・分断・分業で効率化ばかりを求め、いつも最高の利益を求めていくという生き方をしていては、交換の手段である貨幣が使い物にならないという価値観などは到底理解できないと思います。
お金を持っていることがすごいという考え方は、根深く肌の中に浸透していて、誰も疑わないように思います。でもそれで果たして何を得られるのだろうかと、私は真剣に考えました。貨幣がなくても回る環境に身をおくことや、財布を持っていて恥ずかしいと思う気持ちは、なかなか経験できるものではありません。
私は農業を通じてお金には代えられない価値のあるものをつくり続けていきたいと思います。