松田優作と言えば183センチという長身で知られるが、

「一度だけ、美由紀さんと2人でお風呂に行く後ろ姿を見たのですが、浴衣がツンツルテンで(笑)。優作さんからも『もう少し、大きい浴衣ないの』と言われましたが、それ以上大きなサイズはなくて。

 お部屋に入っていた仲居にも、優作さんから『布団から足が出る』と言われたこともありまして、優作さんのために敷き布団と掛け布団をそれぞれ2枚使い、優作さん用の寝床を作っていました」

 ひとりの時も、家族で訪れる時も付き人が車で送迎した。

「いつも黒系の服装が多く、黒いジャケットとジーパン姿で、足が細くて『なが!』って思っていました。おひとりの時はサングラスをしていましたが、家族といらした時はかけてなかったです」

 過去に一度だけ、すでに満室で予約を受けられなかったことがあった。

 結局、近所の旅館に宿泊したが、玄関先に「歓迎 松田優作さま」とプレートが掲げられ、サインと写真攻めにあい、松田は「すごく嫌だった」としみじみ女将に話した。

 じつは、松田優作の部屋担当の仲居も色紙を持ち歩いたことがあったが、最終的にサインも写真も一度もねだらなかった。

「欲しがったら、優作さんがもう来て下さらないような気がしたんですよね」と女将は控えめに語る。

優作の死後に訪れた妻と息子たち
いまも変わらない隠れ家の佇まい

 松田優作と美由紀は3人の子どもを授かった。子どもたちが夏休みに入ると、松田優作は家族を連れてきて、「河鹿」より広い10畳2間の「松」の部屋を使った。

「龍平君と翔太君は本当にいたずらっ子。いつも運動会をしていました(笑)。うちの息子が龍平君と同じ歳だったので、『一緒に遊ぼう』と帳場に来ていたこともありました。優作さんは息子さんがまとわりつくのを『忙しいのに、まったく』という風で、2人が河原で遊ぶ姿を時たま見に行く感じでした。あとは息子さんを連れてお風呂に行っていましたね。美由紀さんとは歳が離れているせいか、甘えさせている印象で、ひとりで来る時より、ずっと穏やかな表情をされていました」

松田優作が家族とともに滞在した「松」の部屋同書より転載