夢を叶えた「難病の青年」
中国新聞のある記事に、僕は目が釘付けになりました。
『夢のパイロット気分を満喫/成田空港で難病の中学生』
筋ジストロフィーを患う当時中学2年生の青年が、成田空港でジャンボ機の操縦席に座らせてもらったという内容です。
彼の夢はパイロットになることでしたが、パイロットの身体検査基準は驚くほど厳しく、筋ジストロフィーを患った体では規定を満たせません。それは彼自身がいちばんわかっていたはずですが、彼はそれでも夢を諦めることができませんでした。
そこで、難病の子どもの夢をかなえる公益財団法人、「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」に応募したところ、その団体が航空会社に相談し、夢が実現しました。空港に招待された青年は、パイロットの制服を着て操縦席に座り、実際に空港敷地内を走行したと記事には書いてありました。
僕は衝撃で言葉が出ませんでした。
彼は難病と闘いながらも夢を諦めていないのに、一方の僕はどうだ?
ちょっとうまくいかなかっただけで挫折しているなんて。彼の姿に感動した僕は、もう一度訓練に挑む勇気を持てました。
そして、どうしても彼にお礼を伝えたくなりました。前を向かせてくれたことに、ただ感謝の気持ちを伝えたかったのです。
団体を経由して青年にお手紙を送ったところ、ご家族からお電話をいただき、ご本人と直接話すことができました。僕は感謝の気持ちを伝え、ひとつの約束をしました。
「必ずパイロットになって、僕の飛行機に乗せるからね!」
果たせなかった約束が、僕に残したもの
再び訓練に立ち向かう勇気をくれただけでも、大きな感動体験ではあります。ですが、この話には続きがあります。
僕は彼との約束を果たせませんでした。アメリカでの訓練時に耳の持病が発覚し、パイロットの道を諦めざるを得なくなったのです。そして日本に帰国し、アメックスに入社して法人営業職に就きました。
営業になって2年目のある朝、あの青年のお父様から電話がかかってきました。
彼が亡くなったと、電話口で伝えられました。
「息子が亡くなりました。遺書の中に、福島さんにもお礼を伝えてほしいと書かれていたので、電話をかけました」
お父様の言葉を聞いた僕は、思わず謝罪しました。
「パイロットになって飛行機に乗せると言っておきながら、僕は夢を果たせませんでした。本当に申し訳ありません……」
すると、こう言われたんです。
「息子は福島さんの話をするとき、とても楽しそうでした。夢を見させてくれてありがとうございます」
約束を果たせず、何もできなかったのに、彼はそうは思っていなかった。遺書に感謝の言葉まで託してくれたなんて。
オフィスの非常階段で通話を終えた僕は、声を押し殺しながら大泣きしました。
彼は今でも僕を支えてくれている
このときに、僕は誓いました。
空から見てくれているあの青年が憧れるような「立派なビジネスパーソンになる」と。
その約束を、果たせているのかはわかりません。この本を書いている今でも、落ち込むことはたくさんあります。朝起きて「働きたくない」と思うことだってあります。理想と現実のギャップを感じて、挫けそうになることもあります。
そんなとき、僕はいつも思い出すんです。彼との約束を。すると、頭を支配していた目先の悩みが気にならなくなります。
「そうだ、僕にはこんな悩みよりも、もっと大切なことがあるじゃないか」
彼との思い出が、前を向く力を与えてくれる大切な「心のガソリンスタンド」となって、今でも僕を支えてくれているんです。
(本稿は、書籍『記憶に残る人になる』から一部抜粋した内容です。)
「福島靖事務所」代表
経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。地元の愛媛から18歳で上京。居酒屋店員やバーテンダーなどを経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。お客様の記憶に残ることを目指し、1年で紹介数が激増。社内表彰されるほどの成績となった。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。株式会社OpenSkyを経て、40歳で独立。『記憶に残る人になる』が初の著書となる。